旧ジャニーズ事務所(現スマイルアップ)は、ジャニー喜多川氏による性加害の被害者の申告と補償に関する情報をHPで掲載している。11月15日時点の情報によれば、1003人から補償の受付窓口に申告があり、この内525人に対しては既に支払いを完了した。
東山紀之氏を社長に据えたスマイルアップ社とはどのような組織なのか。ジャニーズ事務所の体質はどう変わったのか。『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』(日本ジャーナル出版)を上梓したジャニーズ性加害問題当事者の会の元代表 平本淳也氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
※1回目「『履歴書の写真が坊主頭ならほぼほぼ合格』、そしてジャニーズ事務所でのし上がるために求められた屈辱的な行為」
※2回目「『ユー、疲れたでしょ』『頑張ったね』なんて言いながら近寄る。そうやって幼い子を沼にハメて操っていった」
──ジャニーズ事務所があそこまで大きくなった背景には、ジャニー喜多川氏だけではなく、その姉のメリー喜多川氏の存在も大きかったという印象があります。非常に怖い人だったという話もよく聞きます。
平本淳也氏(以下、平本):怖いよ。メリーは滅多に笑わない人でね。ただ、主に事務所を担っていたから、ジュニアとはほとんど接点がなかった。僕は事務所のそういった部分にも出入りがあったので、他のジュニアよりは接点があったほうだと思います。
ジャニーとメリーがケンカする場面も時々目にしました。「こら、ジャニー!」「なんだよ、メリー!」なんてやり取りをしていて、この人たちはいつも互いを「ジャニー」「メリー」と呼び合っているのだとおかしく思った記憶があります。
──ジャニーズ事務所のスキャンダルをもみ消すのはメリーの仕事という印象があります。
平本:ある事件を契機にスキャンダルをもみ消すことができると彼女は理解して、それから対メディアでジャニーズはどんどん強気になっていきました。
──村西とおるさんとジャニーズ事務所が衝突した事件ですね(※)。
※1988年に、AV監督の村西とおる氏がジャニーズの所属タレントと一夜を共にした女優を起用し、その一夜を再現するビデオ『顔にベチョッとください』(クリスタル映像)をリリースしたところ、激怒したジャニーズ事務所が事実を否定して主演女優と製作者サイドを激しく批判した一件。この時に、番組でこのビデオを取り上げた「11PM」(日本テレビ 1965-1990年)の制作者が、ジャニーズ事務所からの抗議を受けて飛ばされた。
平本:番組の担当者が数名、左遷されたり、飛ばされたり、消えたりした。あの時に、メリーの中で何かが覚醒したのだと思う。「なるほど、一言言えば飛ばせるのか」と気づいてしまった。以来、その権力を存分に行使しました。見た目は小さなおばさんだけど、ジャニーズの恐怖の象徴のような存在でした。
◎事実上の解体へ、ジャニーズ性加害を最初に暴いた村西とおると北公次の証言(JBpress)
──ジャニーズの広報担当をされていた白波瀬傑氏という人物にも注目が集まっています。この方がメリーの命令を受けてメディアと折衝していたのですか?
平本:そうです。メリーの分身のような存在でした。最終的に取締役副社長にまでのぼりつめた人ですから、信頼は厚かった。彼は一度ジャニーズ事務所を退職したのに、ジュリーさんが会社を継いだら戻ってきました。
──本書では、藤島ジュリー景子前社長についての言及も多数あります。その中で、「お嬢様育ちのジュリーさんはずっとメリーの言うことを聞いて育ってきたから、自分で何かを決めることができない」と語られています。一方では、性加害の事実を認めて、謝罪するスタンスに徹したことは評価されています。