2011.3.11 14:46 「東日本大震災」
2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖で巨大地震が発生。直ぐにやって来た巨大津波が東日本の海辺の町を襲った。
震災の2日後、フランスのAFP通信の依頼を受け、東京からセスナ機で被災地に向かった。仙台上空、暗赤色の濃い炎を巻き上げ燃え続ける石油施設、厚いコンクリートの堤防を突き破って陸に乗り上げた大型貨物船、折り重なったコンテナ、引っくり返った大型巡視船、建物に頭を突っ込んだままの自衛隊の戦闘機。その先の南三陸では、残っているのはコンクリートの建物だけ。そして海。住民が親しみ愛した海は今は静かに広がっている。とんでもない惨事を引き起こしたことなど知らないかのように。
シャッターを切りながら、被災地を上から見下ろしている事に罪悪感のようなものを感じた。被災地の悲痛な叫びも想いも、ここからは何も聞こえない。顔も見えない。
目の当たりにした津波の脅威
翌日、車で石巻へ向かった。
やはり現場に立って接する被災地の光景は大きく違った。何よりもまず、行方がわからない肉親や友人を探して歩き続けている人達の慟哭が、心の中に突き刺さってきた。
石巻港の近くはあたり一面が瓦礫の山と化していた。
「ここに私たちの住んでいた家があったんです・・」
息子さんと一緒に瓦礫となった家の跡に立っていた女性がぽつりと話し始めた。
「まだ主人が行方不明で・・・仕事場が港近くだったので津波に巻き込まれたんじゃないかと・・・たぶんダメでしょう」
女性は今まで押さえていた気持ちを堰が切れたように色々と語ってくれた。
「優しい父親でしたよ。きっとこれから先の人生を私たちに託したのでしょう。しっかり生きてくれよ、と空から言ってくれてます・・・」
思わず目の前の瓦礫を見つめた。この瓦礫の一片一片には多くの家族の幸せな生活が沁みこんでいる。