なぜ廃墟は人に愛されるのか?

 九州・山口の近代化産業遺産群のパンフレットには「いまのニッポン どこから 始まったのですか?」と書かれている。現在の日本の経済発展はどこから始まったのか。「産業遺産」はそれを知る上で重要な歴史の証人だ。日本のルーツを探るのではない。ほんの100年ほど前の我々の先人が、日本の現在の姿を夢見た足跡なのである。

 この遺産をどう見るかは人それぞれかもかもしれない。一時期、廃墟がブームになった。人が消えた廃工場、集落、説明がないと何に使われたかわからない建造物、そして軍艦島。これら廃墟の写真集が書店の棚に並んだ。

 もちろん、古代から近世までの歴史を知ることは大切であり、日本人のルーツを探る世界遺産は重要だが、日本が飛躍的に発展した近代の産業遺産の痕跡を知り、産業遺産を語り継ぐことは、日本人の誇りを保つ上で重要と考える。産業遺産を見て、感じて、時代の息吹を現在から未来に伝える廃墟が大きな意味を持ち始めている。

「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、幕末から明治期にかけて重工業、つまり製鉄、鉄鋼、造船、石炭産業が発展したプロセスを証明する遺産として、世界遺産に登録された。文明社会を形成する過程で国を豊かにしようと試行錯誤を行なった痕跡は、同時に産業を支えてきた名もなき人々の営みの歴史でもある。

上空から見た軍艦島。その名の通り、軍艦に見える(写真:Science Photo Library/アフロ)

 日本最初の近代炭鉱は長崎沖の高島だ。1868年、佐賀藩とグラバーが合弁で採掘を始め、翌1869年、英国人技師モーリスが深さ44mで着炭に成功した。1881年に高島炭鉱を譲り受けた三菱は隣接する端島を1890年に買収し、海洋都市を構築した。

 軍艦島こと端島は「石炭を掘るためだけに作られた」島である。製鉄や船を作る上で重要な原料である石炭の採掘が、唯一の産業だった。