竹島で軍事訓練を実施する韓国海軍(提供:South Korea's Navy/AP/アフロ)

(金 遥楽:フリーライター)

 2月22日は島根県が条例で定めた「竹島の日」だ。竹島を巡っては、日韓間で終わりの見えない論争が続いている。その「竹島の日」を目前に控えた今、過去の文献や地図、歴史などをあらためて検証してみたい。

 竹島(韓国名トクト<独島>)の領土問題を語る時、当然ながら過去の地図や文献を根拠に論ずるべきだが、過去の名称と現在の名称が異なっているなど、明確にし難い部分がある。韓国の過去の地図や文献には、鬱陵島(ウルルンド)や于山島(ウサンド)などさまざまな記述があり、文献上の名称がどの島嶼を指すのか特定する必要があるが、異なる複数の解釈があり、どの説を根拠にするかで変わってしまう。

 韓国には1900年の大韓帝国皇帝勅令に出てくる「石島」(ソクト)が、今のトクト(日本名・竹島)だと主張する説がある。しかし、「石島」という名称は、それ以前の文献にはなく、また勅令の後も行政区域の改編で消えてしまって、今となってはどの島を指すのかわからない。

 鬱陵島の近くに「観音島(クァヌムド)」と「竹島(チュクト)」という2つの島がある。この「観音島」は「石島」の可能性が高いが、過去にたった一度だけ登場し、すぐに消えてしまった「石島」という名前を根拠にトクトと主張するのはあまりにもお粗末だ。なお、「チュクト(竹島)」は日本の「竹島(韓国名トクト)」とは別の島である。

 竹島は、1402年に李氏朝鮮で作成された世界地図 「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」には記載されておらず、朝鮮王朝が竹島を認知していなかったと考えるのが妥当だろう。その後は、18世紀まで島の記載がある地図とない地図があり、また位置の誤りなどもある。朝鮮王朝が竹島を認識していたかどうか疑問である。