軍艦島にはどんな生活があったのか?

 長崎港を出発した「軍艦島クルーズ船」で40分ほど波に揺られながら香焼、伊王島、高島を眺めながら中ノ島を過ぎると、軍艦島(端島)の異様な姿が現れる。観光客がざわめき始める瞬間でもある。

 各自がカメラを構えてシャッターを切り始め、「まさに軍艦だ!」と感嘆する声が聞こえる。船は徐々にスピードを落としながら島に近づき、聳え立つコンクリートの要塞が間近に迫る。

 乗客がその光景に釘付けになった後、船は島の後方に向かう。乗船客は観光船会社に割り当てられた接岸時間まで島の後方を見物する。鉱業所があった表側の施設はほとんど姿を消し、そこに何があったのかを想像することはできない。

 一方、裏側はその威容を残している。乗船客は海の真ん中に見えてくる高層アパート群に度肝を抜かれる。現在、アパート群や端島小中学校の色あせた白い建物など、47年前の生活の息吹が残る建物への立ち入りは特別な許可が必要で、海上からしか見ることしかできないが、乗客にとってはまさに非日常の光景だ。

 乗船客はカメラを構えたまま説明に耳を傾け、「廃墟、廃墟」と叫び始める。47年前まで、アパートの窓にすべて灯りがついていたという説明が始まるとカメラ手が一瞬止まる。

 もちろん、最初から廃墟だったわけではない。日本の近代化と戦後復興まで日本を支え続けた「石炭を掘るためだけに開発された軍艦島」は時間が止まった場所である。

 海抜47.7メートルの岩肌に白い灯台が建っている。島から人が消えた後に設置された肥前端島灯台で、かつて24時間操業だった島は常に明かりが灯っていた。島全体が灯台の役目を果たしていた。島の灯りがすべて消えた昭和49年4月20日以後、灯台が必要になった。

 島の灯りが消えるまで、そこにはどんな生活があったのか。知られざる軍艦島の生活や朝鮮人労働者やその家族との交友、また世界遺産への道のりと登録、保存や今後の問題点などを連載していく予定である。

 以下、軍艦島の写真をお楽しみください。