(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
かつて「浮き城」と呼ばれた織豊系城郭
先日、JBpressのイベントで松本へ行ったついでに、諏訪高島城をカメラ片手にぶらりと歩いてみた。以下は、筆者の書籍『1からわかる日本の城』に書いた、西股流城歩きの実地編である(太字の用語は『1からわかる日本の城』参照)。
城は、中央本線の上諏訪駅から歩いて15分くらい。住宅地の中に本丸が残り、3重の天守と、隅櫓、城門などが鉄筋コンクリートで復興されている。この日はさいわい、雲一つない秋晴れに恵まれたので、まずは本丸の堀にかかる橋ごしに、天守を撮る(写真1)。
戦国時代、この地を領していたのは諏訪氏だった。豊臣秀吉の全国統一にともなって諏訪氏は関東に移され、秀吉に仕えていた日根野高吉が替わって入る。
石高は4万石に満たなかったものの、安土城や大坂城の普請にも携わっていた高吉は、この地に本格的な織豊系城郭を築くことにした。築城当時は、諏訪湖に突き出すように築かれていたことから「諏訪の浮き城」と呼ばれたものだが、江戸時代に諏訪湖の干拓が進んで「浮き城」の景観も失われてしまった。
などと、高島城の歴史を確認しながら、堀ばたを歩く。日根野氏は小藩だから、動員兵力も小さい。「浮き城」にしたのも、別に風流を求めたわけでなく、少ない兵力で確実に城を守るためだ。
堀ばたから見ると、3重の天守が本丸の虎口(p157)に対する横矢掛り(p160)になっていることが、よくわかる。何とか本丸の守りを固めたい、という日根野高吉の気持ちが伝わってくるようだ(写真2)。この堀ばたからのアングルは、構図的にも決まるので、城の本や観光パンフなどに載っている高島城の写真は、必ずこのアングルだ。
ただし! この場所、実は本丸の北面に当たっている。ということはつまり、このアングルで、天守や石垣にきれいに光が当たっている写真を撮ろうと思ったら、朝の早い時間帯を狙うしかない。
まあ、前夜、諏訪の温泉に泊まって、朝早く旅館を出てくればよいのだけれど、一枚の写真を撮ることから逆算して、旅のスケジュールを組むというのも大変だ。僕の場合は朝、川崎の自宅を出て、高島城に着いたのはお昼くらい。
手頃なアングルを探しながら堀ばたを歩いて、正面側から天守を狙ったりもしてみたのだけれど、完全に逆光だ(写真3)。プロが使うような高級レンズなら、もう少しクリアに撮れるかもしれない。でも、僕が旅行用に持ち歩いているコンパクトなズームレンズでは、これが限界。
こんなとき、僕の解決策はいたって簡単だ。うまく撮れないものは、無理に撮らないことである。観光パンフ風の写真は、プロカメラマンに任せて、いまの条件で自分がうまく撮れるアングルと被写体を探すだけのこと。
本丸の外側から天守を狙ってうまく撮れないなら、南側から、つまりは本丸の内側から撮ればよい。というわけで、門をくぐって本丸へ(写真4)。どの城もそうだが、高島城も本丸は公園になっている。立木・藤棚・看板など、邪魔ものが多い(写真5)。そこで、これらの邪魔ものを、天守のアラを隠すカバーとして利用することにした。(後編につづく)
※扉の写真は、本丸の外側を歩いていて見つけたアングル。現地で探してごらん。
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