日本ではこのような専門家の起用はほとんど見られません。現在の霞が関は、専門性というよりは、基本的には地頭を測る試験と化してしまっている国家公務員試験に合格した人たちが集う世界で、かつグローバルな視点で見れば学歴も低い人の集団なのです。学歴が低いというのは、バチェラー(学士号)しか持っていない人が多く、マスター(修士)を持っている人はそれなりにいますが、ドクター(博士号)を持っている人材はほとんどいないということです。しかも主流は法学部や経済学部を出た人たちで、それとはあまり関係のない農業や教育やエネルギーなどの専門分野の行政についても、地頭のよさで何とかこなしているという状況です。それよりは、様々な「官民連携」でその分野の専門家に任せたほうが、効果的かつ効率的な行政ができることは自明です。

過去の「電子政府」化計画はなぜ失敗したか

 スリム化の3つ目のポイント――これが一番大事なのですが――は「デジタル化」です。菅首相も「デジタル庁創設」を打ち出しているので、その重要性を認識しているのでしょう。なにしろデジタル化が進めば、公務員の人数も公務員の仕事も減らすこともできるし、また行政が“効果的”にもなります。効率が上がるだけでなく効果的にもなるのです。行政のデジタル化はいいことずくめです。

 そしてこのデジタル化の実現にこそ、官の世界に民の専門家をいかに大量に入れるかがカギとなります。というのも、これまでも「行政のデジタル化を推進しよう」ということは言われてきました。IT基本法も作られたし、内閣府にIT推進室(現IT総合戦略室)も設置され、CIOという補佐官制度も出来ました。ところが残念ながら、思うような成果は出せませんでした。あえて言えば“やるポーズ”は見せて来たのですが、本気でデジタル化に取り組んできたとは言えなかったと思います。

 そのツケが露わになったのが、コロナ下により業績が悪化した個人事業主や中小企業に配られる「持続化給付金」の問題でした。給付金の支給事業を中小企業庁から769億円で委託された民間団体が20億円を差し引いて、民間企業に丸投げしていたことも問題になりましたが、実はその予算の多く(400億円超)は申請受付のためのパソコンの設置やスタッフへの操作指導の費用です。それまでにデジタル化が進んでいれば、不要な予算です。

 また個人に一律10万円を配る特別定額給付金事業でも、オンライン申請に対応できない自治体が続出しました。あの緊急時に、デジタル化が不十分なために、迅速に給付金を配ることができないという、日本の弱みが明らかになったのです。

「小強国家」を実現するためには、行政のデジタル化を進めて、この弱点を克服しなければなりません。そこで気を付けなくてはいけないのは、デジタル化で目指すのは「デジタイゼーション」ではなく「デジタライゼーション」だということです。

 デジタイゼーションとは、今現在行っている申請業務などをオンラインに置き換えるという程度のものです。それに対してデジタライゼーションとは、デジタル化に合わせて仕事の仕組みややり方や人員の配置まで変えていくというものです。菅政権の目指すデジタル化も、デジタイゼーションにとどまらず、デジタライゼーションにまで踏み込んでもらいたいのです。