霞が関から聞こえてくる官房長官時代の菅さん評はなかなか興味深いものです。霞が関の官僚にとって人事は何よりも重要なもので、各省庁ではそれぞれ「この人は当然次官だろう」という“次官候補”がなんとなく決まっていることが多いのですが、特に内閣人事局が出来て以降、菅さんの意向によって、その候補が次官になれないことが何度かあったようです。逆に「この人はないだろう」という人(典型的にはノンキャリアの方や、過激な改革マインドを持った方)が、抜擢で出世した陰にも菅さんの意向が大きく働いたとも言われます。

 官僚組織の論理としては、私生活に多少難があったり、民間企業との付き合いが派手だったりする人物であっても、役所的な意味で「仕事ができる」「人望がある」「業界事情に精通している」などの面で評価されれば、同期のエース級となり、割と厳格な年功序列制の中で、「この人物はぜひ将来は〇〇年入省組の中ではわが省の幹部になる」という暗黙の了解を比較的早い時期に持ったりします。

 一方、菅さんは、個人的に評価しない場合には、役所の論理を無視して引き上げなかったようです。例えばスキャンダルの影がちょっとでもあるような人は、良く知らない場合には、役所論理的には出世させてあげたい場合でも、内閣のリスクを考えて絶対に引き立てませんでした。つまり、役所側が提示する人事案を見ても、政権からみて支持率を下げたりするリスクがある人物については「それは無理だ」として、要職には就けなかった。そこは徹底していたようです。

 あるいは、官邸から下りてきた案件について、霞が関の官僚が「これはできません、無理です」と報告を上げて来たときにも、菅さんは迫力があったといいます。「分かった。本当にできないんだな。だけど、もし後になってできると分かったらただじゃおかないぞ」といった凄み方をするというのです。

 そう言われてしまうと役人は太刀打ちできません。なんといっても先述の内閣人事局の設置など以降、官房長官はより明確に実質的に霞が関幹部の人事権を握っています。後になって、自分が左遷されてしまっては困るので、必死に解決法を考えるようになるというのです。このように、人事権を非常に効果的に使い、迫力をもって官僚を使いこなしてきたのが菅さんです。

 首相になった菅さんは、「霞が関の縦割りを排除していく」ということを強くおっしゃっています。これは、本質的には官僚が嫌がる部分もある改革です。しかし、霞が関ににらみが利く菅さんであれば断行できる可能性は極めて高くなると思われます。

菅氏に「一度退陣してまた総理に」の思いはない

 菅内閣の3つ目の特徴は菅さん自身に「もう次はない」という一種の覚悟があるということです。菅さんは現在71歳です。年齢から考えると、おそらく菅さんは、今回総理を勤め上げたら、再度総理になるチャンスはないと思っているのではないでしょうか。一度退陣した後に、「さらにもう一回総理に」という年齢ではありません。つまり菅さんは、おそらく「これが最初で最後のチャンス」と考えているはずです。つまり、「その後」のことを考えず、迫力を以て思い切った政策を打ち出せるのです。

 ここに挙げた3つの特徴――無派閥である、霞が関ににらみが利く、次はない――は全て、思い切った改革ができるための要素になっています。このことが私が菅首相に期待する理由でもあります。