現代の日本人も薩長のプロパガンダを信じ込まされている

 さて、佐野鼎らが乗ったポーハタン号がアメリカに向けて江戸湾を発ったとき、すでに松平忠固の姿はこの世になく、忠固を失脚させて大老となった井伊直弼が遣米使節団を送り出すかたちとなりました。

 しかし、その井伊直弼もわずか3か月後、桜田門外で水戸藩士らに暗殺されてしまいます。いわゆる「桜田門外の変」です。

 国のトップが次々に謎の死を遂げたり、殺されたりするのですから、まさしく激動の時代ですね。

『政敵たちと熾烈な闘いを繰り広げ・・・』

 著者がそう表現しているように、当時、開国をめぐっては想像を絶する綱引きや、あからさまな足の引っ張り合いがあったようです。

 それにしてもなぜ、現代を生きる私たちは、学校の授業で「井伊直弼」の名前だけを覚えてきたのでしょう。なぜ、「松平忠固」の名前は歴史の教科書に一切載らず、触れられず、抹殺されてきたのか・・・。

 著者の関氏は『日本を開国させた男、松平忠固』の中にこう記しています。

<現代にいたっても、日本人はいまだに長薩政権のプロパガンダを信じ込まされているのだ(P165)>

 緻密な調査と膨大な文献から、見事に解き明かされるそのカラクリ。数々の定説が誤解であったことにただただ驚かされる、衝撃の一冊です。