興味を持ったことなら知識はスルスル頭に入る

 子どもの学力を考える上で最も避けるべきは、勉強嫌い、学習嫌いの子を増やすことだと考えている。学ぶことが好きでさえあれば、自分から進んで学ぶからだ。

 私は学生時代に土壌学を学んだが、ちっとも頭に入らなかった。単位を取るために仕方なく学んだ、つまり気分としては強制(勉強)だったからだ。

 ところが研究者になり、興味の湧いた現象があって改めて土壌学の教科書を開くと、スルスルと知識が吸収されていった。自分から興味を持ち、学んだからだ。

 旧帝大で土壌学を学ぶ大学院生に「窒素は土の中でどんな風に分解される?」と、土壌学の基本を質問してみても、半分以上が答えられない。私も偉そうに言えない。多分、答えられなかった。

 しかし、自分が興味を持って学んだことは、トシを取って記憶力も低下しているはずなのに、忘れない。面白いものだ。

子どもは体験して自ら学ぶ

 コロナ休校の間、息子に大工道具セットをプレゼントした。以前から私が大工仕事するのを見て、憧れがあったようだ。

 息子がトンカチでクギを打つとき、私は何も言わず、様子を見ていた。ほぼ初めてと言ってよいクギ打ちは、うまくいかない。しかしどうしたらよいかを、私は教えなかった。失敗を重ねることで初めてコツの大切さが分かるからだ。そのうち、息子はクギをまっすぐ打つコツを見出したようだ。

 クギを打つ動作は、物理で学ぶ「ベクトル」と深く関わっている。ベクトルの向きがずれると、クギを真っ直ぐに打てない。また、トンカチは円状に振り下ろすが、その円に接する「接線」のベクトルが、クギの向きと一致していないと真っ直ぐにクギを打てない。

 大工仕事は、数学や物理の諸概念と深く関わる内容を含んでいる。それを体験的に学ぶことができる。

カリキュラムの消化よりも「学びを楽しむ」ことを

 日本の教育は、アクティブ・ラーニングを中心にしていく、という方針が立てられている。アクティブ・ラーニングは、自発的な学びに重きを置く。ならば、学校現場がカリキュラム消化に追われて、学びを強制(勉強)にしないことが大切ではないか。カリキュラム消化よりも、子ども自身が学ぶことが好きで、楽しめることを何より重視すべきではないか。

 文部科学省は、新型コロナ休校を好機と捉えて欲しい。カリキュラム消化が最優先のルールを見直し、「学びを楽しむ」ことを重視してはどうだろう。学ぶことを楽しめれば、いつだってどんな年齢になったって、学べるのだ。なにせ、拒否感がないのだから。

 学力とは「学ぶ力」であって、「知識の量」ではない。いくつになっても学ぶことを楽しめることが、学力のはずだ。学力観を、これを機会に見直してみてはいかがだろうか。