
写真提供:京セラ
20代で京セラを創業、50代で第二電電企画(現KDDI)を設立して通信自由化へ挑戦し、80歳を目前に日本航空の再生に挑んだ稲盛和夫氏。いくつもの企業を劇的に成長・変革し続けてきたイメージのある稲盛氏だが、京セラで長らく稲盛氏のスタッフを務めた鹿児島大学稲盛アカデミー特任教授の粕谷昌志氏は、「大変革」を必要としないことこそが稲盛経営の真髄だという。本連載では粕谷氏が、京セラの転機となる数々のエピソードとともに稲盛流の「経営」と「変革」について解説する。
今回は、無名企業から無借金・高収益経営を実現させた背景にある、京セラ特有の財務体質に迫る。当時の識者がうなった稲盛氏の経営方針とは?
無借金経営の実現
1975年、京セラは無借金経営を実現した。1959年の会社設立時は、創業者の稲盛が何も持たない徒手空拳の創業にあって、支援者の好意による銀行融資を受け、ようやく産声を上げることができた。
そんな零細企業が歩んできた、財務体質向上に向けた変革の道のりと考え方を振り返るとともに、堅実な経営がもたらした豊かな成果について掘り下げていきたい。
まずは、1976年3月期の京セラの決算を確認したい。

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損益計算書では、売上は296.3億円、税引前利益は98.1億円を示し、利益率は33%に達している。貸借対照表では、総資本は440.7億円を数え、負債の部に借入金は見当たらず、自己資本比率は70%を超えている。驚くべきは、資産の部に年間売上の3分の1に相当する110億円もの現預金が計上されていることである。
前回にも記したが、京セラは1960年代後半には財務体質は良好になっている。1969年3月期には現預金は3.9億円あり、借入金2.2億円を上回り、すでに無借金経営が可能であったが、銀行取引を考慮し、あえて借金を残した。しかし、十分な内部留保を蓄えた1975年に借入金を全て返済し、無借金経営を実現したのであった。