京セラと第二電電(現KDDI)の創業者であり、78歳で日本航空会長に就任してJAL再建を果たした稲盛和夫氏。昭和、平成、令和と3つの時代を駆け抜けた90年の人生は、まさしく「新・経営の神様」と呼ぶにふさわしい。「アメーバ経営」で知られる独自の経営哲学は、2022年に他界したのちも多くの経営者やビジネスパーソンに影響を与えている。本連載では、『一生学べる仕事力大全』(致知出版社)に掲載されたインタビュー「利他の心こそ繁栄への道」から内容の一部を抜粋・再編集し、稲盛氏が自身の人生と経営について語った言葉を紹介する。
第1回は、ビジネス人生の原点となったサラリーマン時代の自己改革を振り返る。
<連載ラインアップ>
■第1回 稲盛和夫は、なぜ自衛隊の幹部候補生学校に入ろうと考えたのか(本稿)
■第2回 若き稲盛和夫が「会社を辞める」と瞬時に決意した上司の一言とは?
■第3回 「給料を上げてくれ」と迫る従業員たちに、稲盛和夫が返した一言とは?
■第4回 第二電電(現KDDI)創業時に、稲盛和夫が半年も自問自答した疑問とは?
■第5回 稲盛和夫が指摘、一流大出身の幹部が経営する企業が“お役所体質”になる理由
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■もし松風工業を辞めていたら
――稲盛名誉会長の人生と経営の原点を探っていきますと、やはり松風(しょうふう)工業に入社されたことが大きかったと思うのですが、いかがでしょうか?
そのとおりです。私の半生を振り返ってみますと、幼い頃に結核を患ったり、中学受験に二度失敗したりと、決して恵まれた、順風満帆な人生ではありませんでした。
私は大学時代、よく勉強していたので、成績は比較的よかったんです。けれども、当時は就職難で、就職先をいっぱい探したものの、書類選考で外れるとか面接で落とされるとか、大企業は全部採用してくれませんでした。
そういう中で拾ってくれる会社が京都にございましたので、昭和30年、地元の鹿児島大学を卒業して、松風工業という碍子(がいし)を製造する会社に入ったんです。
碍子:電線とその支持物との間を絶縁するために用いる器具。
しかし、そこも決して華やかな会社ではなく、毎月のように給料は一週間ほど遅配する、いまにも潰(つぶ)れそうな赤字会社でした。ですから、最初のうちは大変不満を持っていました。
特に思い出しますと、当時は寮で自炊をしていましたので、近所の八百屋さんに毎日買い物に行っていたのですが、ある時、八百屋のおかみさんが「あなた最近よく見えるけれども、どこに勤めてるの?」と言うので、「いや、そこの松風工業に勤めています」と答えたら、「ええ! どっから来たの?」とさらに聞くので、「鹿児島から来た」と。そうしたら、「あんなボロ会社に、よう遠いところから来たね」と言われて、酷いことを言うおかみさんだなと思いました。
――それほど評判の悪い会社だったと。
寮の近くに小川が流れておりまして、寂しさや虚しさもあり、毎晩のように小川のほとりに佇(たたず)んでは、童謡なんかを歌って自分を慰めていたことをいまでも覚えています。
新入社員は5人いたのですが、1人辞め、2人辞め、入社した年の秋には、九州天草の出身で京都大学を卒業した人間と私の2人だけになりました。彼と「もう辞めたい」「いっそのこと、自衛隊の幹部候補生学校に入り直そうか」と話して、実際に試験を受けましたら合格したんです。
入隊手続きをするために戸籍抄本(しょうほん)が必要だったので、実家から送ってもらうようにお願いしたのですが、一向に届きません。結局、期限切れとなり、同期の彼は自衛隊に行って、私だけが残ることになりました。
――お兄さんが反対されて、戸籍抄本を送ってくれなかったとか。
そうです。2つ上の長兄が、「大学の先生のおかげで就職難の時代にようやく入れてもらった会社なのに、何のご恩返しもしないで半年で辞めるとは何事か」と。
――20代半ばの若さでよくそのような立派なことが言えたなと、お兄さんの見識の高さに驚かされます。
人間としての生き方というものについて、確かに見識があったと思います。兄は旧制中学までしか出ていないんですが、国鉄に勤めながら私を大学まで出してくれました。大変苦労人で、それだけに弟思いでもありました。
私が簡単に「辞めたい」と言ったことに対して反対してくれた。その兄がいたからこそ、今日の私があると思っています。
旧制中学:1947年に学校教育法が施行される前の日本で男子に対して中等教育を行っていた学校。学校教育法施行により高等学校に移行。
国鉄:日本国有鉄道、現・JR。1987年、国鉄分割民営化に伴い、JRグループ各社及び関係法人に事業を継承。