ではなぜわれわれは、トレーニングに真剣に取り組まなかったのか。それは日本人が「英語を学ぶ『必要性』や『切実な動機』を感じなかったからです」。いまでも読み・書き・聴き・話すの「4技能における高い英語力が求められる日本人は全体の1割にも満たない」はずである。「残りの9割は、そのレヴェルを目指す必要はないし、そうなるように尻を叩く専門家のいうことに耳を貸すこともないのです」
10年間英語を学んだのになぜ話せないか。これにもすでに答えは出ている。たしかに日本語は英語を学ぶのに不利な言語のひとつである。だから目標達成には2200時間の学習が必要で、つまり毎日5時間を週5日こなしても88週間、つまり2年近くかかるといわれている。
ところが実態を見てみると「10年間学んだ」といばれないことがわかる。中学3年間の授業で約300時間、高校で約400時間、大学で約300時間、合計でたった1000時間しか学習していないのである。この程度の学習時間で英語を身につけようというのがどだい無理である。
楽して結果は得られない
しかもこの1000時間だって、だれもが身に覚えがあるように、適当にやった1000時間である。そもそもこの程度のトレーニングで英語が話せるようになる、と思ったのが太い了見だったのである。さらに日本の英語教育は「試験のための英語」で「コミュニケーションのための英語」ではない。
英語を習得した、あるビジネスマンの実例が引かれている。かれは「2年で1000時間」のトレーニングを自らに課した。里中氏に英語でビジネスの交渉ができるようになるにはそれくらいの訓練が必要だ、といわれたからである。かれは1週間に10時間、つまり1日90分(1時間半)を確保するのに、会社への行き帰りに30分ずつ(土日は朝60分)、寝る前に30分やったという(ちなみに、かれが使ったテキストはNHKラジオの「実践ビジネス英語」である)。そして2年後、かれは見事に納得できる英語力を手に入れた。
このように英語習得はけっして楽ではない。長期間の地道な努力が不可欠である。ところが現代の日本人はできるだけ楽して、成果だけは享受しようとする。つまり、最小の努力で最大の効果を得たいと虫のいいことばかりを考えている。そこにつけこんで、ただ聞き流すだけで英語ができるようになる、という英語教材が出たりしているが、里中氏はそれを「邪道」だといいきっている。英語を「シャワーのように浴びる」という学習法は「もっとも役立ちませんでした」。