「日本人であることに誇りを持つ」
里中氏が信用できるのは英会話学校や高価な英語教材を一言も勧めていないことである(もちろん否定もしていないが)。一方で、NHKのラジオ英語講座を高く評価している。かれは英語が上達するひとつの方法として音読の効用を強調しているが、その場合もかれが勧めるテキストはNHKのラジオ英語講座である(TV講座よりも)。テキストは何種類かあるが「興味のある講座を選ぶとよい」といっている。
英語学習を始めるにあたって、里中氏はまず、どの程度の英語を話せるようになりたいかという「目標を設定」せよ、という。例えば、1年後に自社製品のプレゼンテーションができるようにする、とか。それから、そのための「学習内容を決定する」。つまり読み・書き・聴き・話すことにどう取り組むのか。その次に「学習法を選択する」。例えば、話すのはスカイプ、聴くのはCNN Students News、書くのは英文日記、など。
目標を定めるにあたっては、けっして「『ペラペラになる』などという非現実的な夢を目標に掲げない」こと、と警告をしている。「ペラペラと英語を話せるようにはならないし、またそうなる必要もない」から。英語は「手段」であり「道具」と割り切って、「内容」と「自己本位」を打ち出す「自前の英語」を目指せばいい。
里中氏が独特なのは「日本人であることに誇りを持つ」ということを打ち出しているところである。「日本人であることに誇りをもてないと、(略)薄っぺらで『他者本位』(英米かぶれ)の“国際人”になってしまう」。「真の国際人とは、日本人のアイデンティティを持つ者のことである」
日本人は「流暢な英語」を目指すのではなく、「内容」を重視した「伝えられる英語」を目指すべきである。さらに、英語を学ぶときに心しておかねばならないことは、恥をかくことを恐れないことである。「恥をかくのが好きな人なんてどこにもいません。しかし、恥をかかずに英語がうまくなった人もまたひとりもいないのです」。つまり「恥をかくことが上達への近道」である。
“カッコイイ”から学ぶのか
里中氏は「英語習得そのものを目的にしない」ことと釘を刺している。しかし日本人のなかには、英語がしゃべれるとカッコいいから、という理由だけで、英語を学ぶこと自体が目的になっている人がいる。英語がしゃべれるというだけで憧れる。英語ができないのはカッコ悪いことで、頭の悪いことでもある。だから間違うと恥ずかしい。そのくせ少しでもできると、できない人間をバカにする。
ときにスポーツ選手や著名人の語学力が話題にあがることがある。吉田麻也の英語はすばらしい。川島永嗣は4か国語を話す。中田英寿の語学力は定評がある。長友佑都はいまや日本語よりイタリア語のほうが得意。久保建英のスペイン語は別格。本田圭佑の英語は度胸英語である。珍しいところでは小野伸二のオランダ語、羽根田卓也のスロバキア語がすごい。福原愛は中国語、草彅剛は韓国語が堪能、などなど。村上春樹はそれほどでもない。大江健三郎は流暢ではないが、あれだけ伝えられれば十分だ。