(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
日本政府は、自治体の首長や医者や市民から「遅い」「早く出せ」とせっつかれて、やっと7日に緊急事態宣言を発令した。しかし、なぜみんなが尻に火がついたように宣言を急がしたのか、なぜ安倍首相が出し渋ったのか、わたしにはよくわからない。伝家の宝刀を抜きさえすれば、感染はすぐ沈静化するという期待感からだったのか。けれど形式的にいえば、宣言が出たからといって民間や個人に対して強制力はないから、それまでの外出の自粛要請と大差あるわけではない。
となると一番の効果は、日本人に最も効果のある、「緊急事態宣言が出された」という「空気」が醸成されることなのだろう。海外メディアは強制力がないからダメというが、日本にはこの「空気」という呪縛力がある。
いまの日本は、とにかく「感染」、「陽性」という言葉に震え上がっているようだ。「1日100人を突破」「累計1000人超」と、連日、東京の感染者数が発表される。もう感染しただけで重篤、というイメージを帯びている。そのうち軽症者は何割、とかはいわない。せいぜい年代別とか経路不明の割合だけ。どれだけの人が退院したかもいわない。とにかく「感染」した数だけが問題なのだ。
このような偏りを憤る記事も出ている。「公開情報で、誰でも確認できる情報なのに、全く報じられていないデータや事実がある」(「緊急事態宣言前夜? 「感染者数」速報で不安を煽るメディアが全く報じないデータと発言」Yahoo!ニュース、2020.4.6、https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20200406-00171775/)。
短距離選手で北京五輪銀メダリストの塚原直貴はマスクを常に着用し、手洗いはアルコール消毒、外出は極力控えてテレワークにするなど、徹底的にコロナ対策をとっていたのに、わずかな外出をしたときに感染したらしい。宮藤官九郎も陽性と判明し、「なんで自分が?」と、がんにかかったみたいなセリフを吐いた。おまけに「一日でも早く元気になって」「帰ってきます」と生還?宣言。森三中の黒沢かずこも感染を公表。もう「感染」したというだけでニュース価値があるのだ。快方に向かっているとか、平熱になった、などは二の次である。
過剰に「安心」を求める
「ダイヤモンド・プリンセス号」に入り、船内状況をYouTubeで報告して話題になった神戸大学感染症内科の岩田健太郎教授が、このように発言をしている。「例えば、私たちが食品や医療を語るとき、『安全・安心』という言葉をよく耳にします。安全とは、科学的に検証されたデータに裏付けられたものですが、なぜか、日本人は加えて感情的な保障としての『安心』を求める」。まったく同感である。