11月24日、佐渡島の金山の追悼式典であいさつする渡辺竜五・佐渡市長(写真:AP/アフロ)
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 順風が吹いていた日韓関係が、佐渡金山の追悼式問題によって突如乱気流に巻き込まれる形になった。今年7月、新潟県佐渡島に位置する「佐渡金山」のユネスコ世界遺産登載を控え、韓国と日本は「毎年労働者追悼式を開く」と合意した経緯がある。ところが追悼式の開催直前になって出席者や追悼の辞の内容などについて日韓が衝突、尹錫悦政権になって初めて歴史問題で日本と対立する事態となった。いま韓国社会は「また日本に騙された」「交渉の顛末を明らかにせよ」と沸き返っている。

日韓和合の象徴になるはずのイベントが…

 日本政府は2010年、佐渡金山をユネスコ世界遺産推薦暫定リストに載せ、2018年に登録を試みたが、韓国政府が反対したため実現できなかった。韓国歴史学界では「日帝時代、約1500人に達する朝鮮人労働者(徴用工)が佐渡金山で強制労役にあった。多くがそこで死亡し、故国に帰ってきた人々もじん肺症などの後遺症に苦しんだ」という説が主流で、佐渡金山のユネスコ登録に反対する空気が強かった。世界遺産登録には、関係国家の反対があれば、解決されるまで審査を無期限中止する旨の規定があり、文在寅“反日政権”が同意するはずもなかった。

 それが、日本との関係改善に力を入れる尹錫悦政権が誕生すると一気に風向きが変わった。「朝鮮人の強制労役を含む『全体歴史』(full history)を反映してほしい」という条件つきで佐渡金山の世界遺産登録に同意、その結果、今年7月に日本の長年の目標が達成された。当時、韓国側当局者は、「2015年の『軍艦島』登載とは異なり、今回は日本の約束だけではなく、具体的な内容に合意し、実質的な措置を引き出した」と強調した。この実質措置の一つが今回問題になった追悼式だ。

 国内の反対世論を押し切って佐渡金山の世界遺産登録に同意した韓国外交部は、佐渡金山の世界遺産登録が確定した7月27日、報道資料を通じて韓国が登録に同意した状況について次のように説明した。

「韓国政府は、佐渡金山の『全体歴史』を“現地に”反映するように勧告した国際記念物遺跡協議会(ICOMOS)や世界遺産委員会の決定を日本が誠実に履行することと、そのための先制的措置を取ることを前提に登録決定に同意した。

 日本は、約束を履行する意志を明確にするために、韓国人労働者が置かれていた過酷な労働環境と彼らの苦難を称えるための新しい展示物を佐渡金山の現地にすでに設置しており、佐渡金山労働者のための追悼式を毎年佐渡で開催することにした。佐渡金山労働者のための追悼式は今年から毎年7~8月頃、佐渡現地で開催される。今年の開催日と場所は現在、日本国内で調整中であり、韓国とも協議中だ。これまで日本の民間団体レベルの追悼式はしばしばあったが、今回日本が約束した追悼式は日本政府関係者も参加することに意義がある」

 当初、韓国側には、佐渡金山の追悼式を尹錫悦時代の日韓和合を象徴するイベントにしたいという思惑があった。

 しかし、いざ協議に入ってみると、両国は行事の名称から開催時期、出席者、そして追悼の辞の内容に至るまで、ことごとく対立した。当初、7~8月に開催されると予告された追悼式は3カ月以上延期され、11月24日となった。