かれらが上手になるのは、仕事だからであり、その環境のなかにいるからである。あるいは何年間か、人が遊んでいるときに個人的に努力をしたはずである。かれらを見ると、成人してからでも、外国語習得は大丈夫だとわかる。
けれど、日本人一般が英語下手なのは「英語を使う必要性がなかった、そしていまもないから」である。英語が話せないことで自虐的になることはないのである。
『日本人のための英語学習法』はそのほか、テキストの選び方、辞書の選び方、モチベーションの保ち方、音読と多読の重要性とその仕方、リスニング力をのばすやり方、洋画の利用方法、文法の重要性、「Please」の使い方、英語の敬語の使い方などなど、まことに至れり尽くせり、じつにかゆいところまで手が届くような説明がていねいになされている。おそらく類書のなかではピカイチである。
日本に帰ったらもっとちゃんと勉強しよう
われわれ団塊の世代は、中学1年から英語の授業が始まった。「This is a pen.」だったと思う。わたしは中学2年のとき、大分県大分市の中学から佐賀県伊万里市の伊万里中学に転校した。田舎の学校、と下に見ていたわけではないが、ここの英語教育の水準が高くてびっくりした。英語の先生の発音が圧倒的に本格的だったのである。当然、生徒の発音もちがった。なぜ伊万里がそんなに高水準だったのかはわからない。そのおかげで後年、20歳ごろに欧州旅行をしたとき、アメリカ人のおばさん軍団に「あなたアメリカに留学したことあるの?」といわれた。わたしの自慢ではない。伊万里が偉いのである。
大学を留年して欧州旅行に行くために、NHKのラジオ英会話を2年間聴いた。それでなんとか日常会話はできるようになった。しかし話がちょっとでも込み入ってくると馬脚を現した。日系アメリカ人のおじさんに、日本の政党にはどんなのがある?と訊かれて、「(エット、自由民主党は、と思って)フリー・・・」といっただけで、いきなり「ノー」といわれた。「Free」はありえず、「Liberal」でなければならなかったのである。
そんなこんなで、日本に帰ったら、もっとちゃんと英語を勉強しようと思った。しかし帰ってきたらそれっきり。そんな無目的なモチベーションがつづくはずがないのだ。
わたしが会社に入ったころに、このような本に出会っていたらと思わずにはいられない。当時、NHKラジオの「ビジネス英語」を漫然と聞き始めてはいたが、全然本気ではなかったからである。里中氏は「伸びる人は努力していますが、伸びない人は努力していません。この単純な事実があるだけです」といっている。耳が痛い。
なにをするにも遅すぎることはないというが、さすがにもう古希をすぎたわたしはいい。けれど、いまの高校生や大学生、英語を必要とする若い会社員にはぜひ読んでもらいたい。子どもの英語教育に悩んでいる親御さんにも一読を勧めたい。
文科省や教師には頼れない。自分自身でやるしかない。そのときにこの本は最強・最良の教師である。