(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
今となっては、東京オリンピックは予定通り実施するのかそれとも延期か、で揉めていたことが嘘みたいである。
わたしはオリンピックを一応、生きる里程標にしている。定年退職したころは、2012年のロンドンまではたぶん生きられるだろうなと思い、それが終わると今度は2016年のリオデジャネイロまでは大丈夫だろうかと、それを見るのが目標となった。それは無事にクリアした。それで今回の東京オリンピックも楽しみにしていたのである。
柔道の大野将平、男子陸上100m、4×100mリレー、マラソンの大迫傑、などは楽しみだった。日本人選手だけじゃなく、あらゆる種目に関心があるのである。しかし、それが1年延期になった。ところが、自分でも意外なことに、全然悔しくもなく、残念でもないのだ。
オリンピックだけではない。もっと身近なプロ野球、相撲、サッカー、テニス、ラグビー、バスケットボール、バレーボールなど、すべてのスポーツの大会が軒並み延期になってしまったのである。ところがこれまた、あれほどテレビ観戦に夢中だったスポーツも、なくても全然平気なのである。
単なる再放送でないのはスポンサー料のためか
「ソーシャル・ディスタンス」が、働き方や暮らし方の一切を変えた。働き方は在宅のテレワーク、テレビ会議などが推奨・実施され、暮らしでは密集を避け、買い物でも飲食店でも間隔を空けることがルールとなった。すなわち「3密」(密閉、密集、密接)を避けること。
顕著な影響を受けたのはテレビである。新規の番組収録ができなくなった。話題になっていた新番組も放映延期になった。TBSの半沢直樹の続編には多少期待してはいたが、まあしょうがないな、とあっさりあきらめられた。
ほとんどの番組は以前の番組の再放送、再編集、総集編を作って急場を凌いでいる。ライターの高堀冬彦氏によれば、ただの再放送でないのは「再放送を流したってテレビ局は儲からない。再編集を施し、特別編という名の新たな番組に仕立てないと、高いスポンサー料が取れない」からだという。しかし企業の収益が落ち、いずれ宣伝広告費が減額されると予想されることから、NHKを除けば、テレビ局も広告業界も今までのように潤沢な資金は使えなくなるだろう。