大塚遺跡(撮影/西股 総生、以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

城の原型は弥生時代の環濠集落

 今回から数回に分けて、日本の城の歴史についてお話ししましょう。

 日本における城の原型は、弥生時代に生まれた環濠集落です。環濠集落とは、文字どおり、まわりに濠(=堀)をめぐらせたムラです。弥生時代には、稲作農耕が広まるとともに、金属製の剣や鉾(ほこ)、大型の鏃(やじり)といった武器が使われるようになりました。こうした中で営まれるようになったのが、環濠集落です。これは、戦争の時代が始まったことを意味します。

写真1:横浜市の大塚遺跡。大がかりな発掘調査にもとづいて、弥生時代の環濠集落が再現されている。たくさんの竪穴式住居を囲むように濠が掘られ、外側には土塁と柵がある。
写真2:弥生時代と縄文時代とでは、生活スタイルが大きく異なっていた。写真は大塚遺跡の隣にある歳勝土(さいかちど)遺跡で、環濠集落に住んだ人々の墓地。これは方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)といって、四角い土盛りを溝で囲んだスタイル。

 ではなぜ、弥生時代に戦争が始まったのかというと、理由ははっきりわかっていません。人類史的に見るなら、人と人とのケンカや殺人事件などは、武器や環濠が出現する以前からありました。でも、殺人やリンチは暴力ではありますが、戦争とは違います。

 戦争とは、人を殺傷する専用の道具=武器を使って、組織的に行使される暴力です。ここでは、われわれの祖先は弥生時代になってから、戦争という行動パターンを選ぶようになった、とだけ言っておきましょう。

 弥生時代にはムラどうしが戦いながら、次第に大きなまとまり=クニができてゆきました。やがて、古墳時代に入り4世紀頃になると、そうしたクニの中から大和政権が生まれて、全国に勢力を広げてゆくようになります。古代国家の誕生です。

写真3:佐賀県の吉野ヶ里遺跡。弥生時代には、次第にムラが統合されて各地にクニが生まれていった。吉野ヶ里遺跡は有力なクニの一つと考えられており、何重もの環壕と望楼(櫓)によって防禦されている。