江戸城巽櫓(撮影/西股 総生、以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

櫓は「武器庫」ではなかった?

 城に詳しくない人でも、上の写真がどこかは、わかりそうですね。 というか、見覚えのある景色。そう、皇居、つまりは江戸城です。この写真の右側に映っているのが、江戸城の巽櫓(たつみやぐら)です。

 城にある、このような建物を櫓(やぐら)と呼びます。城に建っている櫓には、いくつかのタイプがあります。まず、最初にあげた江戸城巽櫓のようなタイプを、隅櫓(すみやぐら)と呼びます。石垣の隅に建っているから隅櫓・・・まんまですね。

写真1:石垣の隅にあるから隅櫓。写真は府内城(大分県)の人質櫓。戦時には人質を軟禁する場所さとれたので、この名がある

 次に、石垣の縁に建っている、長屋のような形の櫓を多門櫓(たもんやぐら/多聞櫓とも)と呼びます。こちらは、名前の由来はよくわかりません。あと、櫓どうしをつなぐように建てられた、廊下タイプのものを渡櫓(わたりやぐら)と呼びます。櫓の用語で、覚えておいた方がいいのは、この3つくらいです。

写真2:江戸城本丸に残る富士見多門櫓。石垣の上に細長く建つ多門櫓は、鉄砲を撃つためのプラットフォームとして最適だ
写真3:松本城。中央の大天守と向かって右の小天守をつなぐ部分が多門櫓

 さて、櫓は、矢倉・矢蔵と書くこともあるので、もともと武器庫だったと思っている人が多いのですが、どうやら違うようです。「くら」という語に当たる字としては、坐や座もあるからです。

 神様が降りてくる神聖な場所を「神くら」、そうした岩を「岩くら」と呼ぶ場合の「くら=坐・座」です。最近、即位礼で話題になった、高御座(たかみくら)も同じですね。「やぐら」とは、「矢坐(座)」。つまり、矢を射るためのプラットフォーム、というのがもともとの意味のようです。

 戦国時代の城では、盆踊りに使うような、丸太を組んで建てた井楼櫓(せいろうやぐら)が、よく使われていました。この構造では、武器庫には不向きです。ただ、普段は見張り場として使うので、何か起きたときのために、即応用の弓矢を備えておく必要があります。そこで、「やぐら=弓矢を置いておく場所」という意味から、矢倉の字が当てられるようになったのでしょう。

写真4:名古屋城の城内に井楼櫓が建っていた。これは、大相撲名古屋場所用に臨時で建てられたもの。戦国の城にもこんな感じで建っていたのだろう