(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
城主は天守に住んでいない?
城のことをよく知らない人の中には、殿様は天守に住んでいた、と思っている人がいます。でも、本物の天守に入ってみると、中は薄暗くて、梁などの構造材がむき出して、床も板張りのまま。まるで倉庫のようで、殿様が住んでいたとはとても思えません。
おまけに、階段がとても急です。天守はもともと、戦闘用の建物だからです。階段が急なのも、敵が登ってきにくいようにするため。それと、建物の中を戦闘区画として少しでも広く使うためです。ですから、女子の皆さん、天守のある城に行くときは、スカートはおすすめできません。
こうしたわけで、天守には戦闘用の装備がいろいろと付いています。たとえば、狭間(さま)という小さな蓋付きの窓のようなものが、あちこちに開いています。鉄砲や弓で射撃するための、いわば銃眼です。
また、壁の隅や要所に、袋のような形の張り出しが付いているものもあります。これは、石落(いしおとし)と呼ばれる装備。その名前から、石を落とすための装備と思われがちですが、実際は下に向かって弓・鉄砲で射撃するための装備です。天守は天守台という石垣の上に載っていて、足元が死角になるからです。壁の一部を出窓のように張り出させて、その下を石落にしている例もあります。
また、犬山城や姫路城では、天守内部の一角に畳敷きのVIPルームがあります。籠城になったときのための、城主の部屋です。天守は、城内でいちばん高い建物ですから、戦いのときには司令塔になります。城主が天守の中に詰めていれば、いつでも作戦会議が開けますよね。
こうした戦闘用の装備は、古いスタイルの天守には満載ですが、新しい時期の天守では省略されるようになります。江戸時代に入ってしばらくすると、戦争の心配がなくなってくるからです。