二条城の二ノ丸御殿(撮影/西股 総生、以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

城を構成するステージ

 天守は本丸、つまり城の中心にドンっとそびえるラスボス。そこに至るまでの、各ステージのボスキャラが隅櫓で、入口は城門が固めています。本丸を取り巻くいくつものステージを、外側から順に攻略してゆかないと、城の中心にはたどりつけません。

写真1:駿府城の二ノ丸。水堀と石垣に四角く囲まれているのがわかる。左手に見えるのは復元された東御門と巽(たつみ)櫓。 

 そうした、城を構成するステージのことを、曲輪(くるわ)といいます。つまり、石垣や堀で囲まれた防禦区画が曲輪になります。城の中心区画が本丸ですが、その次を二ノ丸、その外側を三ノ丸と呼ぶのが普通です。本丸からの方角によって、西ノ丸とか北ノ丸といった名前がついていることもあります。

写真2:姫路城の天守から見た西ノ丸。本丸の西にある高台が、多門櫓や塀で囲まれているのがわかるかな?

 他にも、曲輪の役割によって、井戸曲輪とか兵糧曲輪みたいな名前がついたり、守備の担当だった家臣の名前がつくこともあります。また、城の本体から飛び出すように置かれた曲輪を出丸(でまる)といいます。大坂の陣で有名な真田丸は、真田幸村が担当した出丸だから「真田丸」と呼ばれたわけです。

 ではなぜ、城内をいくつもの区画に区切って、たくさんの曲輪をつくるかというと、城が簡単に落ちないようにするためです。もし、城が一つの大きな区画だけだったとしたら、どこか一箇所が決壊したとたん、城内全部がいっぺんに戦場になってしまいます。

 でも、本丸−二ノ丸−三ノ丸と三重にしておけば、たとえ三ノ丸に敵が侵入しても、本丸と二ノ丸で持ちこたえることができます。二ノ丸から逆襲部隊を繰り出して、三ノ丸を取り戻すことだってできますね。

写真3:東から見た松本城。手前に見える太鼓門(復元)を通って、二ノ丸を左手に進み、黒門(復元)を突破しなければ、天守のある本丸にたどり着くことはできない。

 もし仮に、逆襲が失敗して敵に押し込まれた場合でも、一気に本丸まで攻められることはありません。曲輪をいくつも設けることによって、戦う場合の駆け引きの選択肢(戦術的オプション)が増えるのです。

 ところで、「くるわ」の語には、「曲輪」のほかに「郭」という字を当てることもあります。そうそう、女郎さんと遊ぶ場所のことを遊郭(遊廓)というでしょう? 時代劇や落語などでは、遊郭を「郭(くるわ)」と呼んでいることもありますね。吉原のような遊郭は、堀で囲まれていたからです。もっとも、この場合の堀は、女郎さんたちが逃げないように、という役目の方が主ですが。

写真4:吉野ヶ里遺跡。日本における城郭の源流は、弥生時代に発生した環濠集落。「郭」とは、堀や柵で囲まれた集落を指す字であった。