明石城(兵庫県)(撮影/西股 総生、以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

あえて注目したい、櫓とは

 上の写真は、JR明石駅のホームから見た明石城。向かって右が巽(たつみ)櫓、左が坤(ひつじさる)櫓。一見、双子のようですが、よく見るとデザインがちがっています。右の巽櫓の方がスッキリ系、左の坤櫓の方が目鼻立ち濃いめの顔立ち。

 さて前回、櫓の話を書きました。櫓は、天守に比べると派手さがなく、城を歩いていても、立ち止まってじっと櫓に見入っている人は、あまり見かけません。でも、よく見ると城ごとに、あるいは一棟一棟に意外に個性があります。

 そこで今回は、僕がここ2~3年で行った城の中から、印象に残った櫓を紹介します!

写真1:二条城東南隅櫓(京都府)

 エントリーNo.1は二条城東南隅櫓。二条城に2棟残っている櫓の一つ。前回紹介した江戸城の巽櫓と似た感じのデザインですが、こちらの方が「はんなり」して京美人風。

写真2:名古屋城清洲櫓

 No.2は名古屋城清洲(きよす)櫓。清洲城天守の古材を利用して建てられたといわれる、堂々たる三重櫓。デザインにも名古屋城天守と共通性を持たせているので、ステージのボスキャラ感がありますね。

写真3:大坂城千貫櫓

 No.3は大坂城千貫(せんがん)櫓。大手門を横から睨む戦闘力抜群の二重櫓。大坂の陣のとき「あの櫓を落としたら知行千貫分の手柄」といわれた櫓があったとか。城はその後、徳川幕府によって造り替えられましたが、やはり同じ場所に櫓が建てられて、千貫櫓の名がついたそうな。

写真4:大坂城乾櫓

 No.4は大坂城乾(いぬい)櫓。多門櫓をL字形に組み合わせたような個性的デザインで、千貫櫓に負けじと存在感をアピールする、俺様キャラ。ちなみに、乾・巽・坤などは、いずれも方位を示す言葉。

写真5:上田城西櫓(長野県)

 No.5は上田城西櫓。上田城の本丸に3棟残っている櫓のひとつ。他の2棟は明治以降、民間に払い下げられて城外に移築された後、元の場所に戻された「出戻り」ですが、この西櫓だけは昔から同じ場所。ずっと家を守ってきた三姉妹の長女みたいで、健気。

写真6:弘前城丑寅櫓(青森県)

 No.6は弘前城丑寅(うしとら)櫓。弘前城には天守の他に三重櫓が3棟も残っていて、その一つが丑寅櫓。弘前城の天守・櫓は、いずれも屋根が銅板葺き。豪雪対策として銅板葺きにしたのでしょうが、この工法は金がかかるので、櫓まで銅板で葺いているのは江戸城と弘前城くらいなもの。そこは津軽藩の財力? それとも東北人の意地?

写真7:岡山城月見櫓

 No.7は岡山城月見櫓。外側から見ると堂々たる3重櫓なんだけれど、内側は三重目を開け放してお月見用の宴ができるという、変わり種の櫓。隣にある天守は空襲で焼けてしまったのだけれど、月見櫓は奇跡的に残りました。