10年前の連載を見ていただいても、同じ論拠から、当時の情勢に合致した内容を演繹していると思います。
日本の学卒、院卒は、普通に中学レベル、あるいはそれ以下が珍しくないという実例から話を始めたいと思います。
四則演算以外は通じない
全世界的に見ると、途上国、紛争地域・紛争後地域などに、教育を受ける機会を得られず、文字が読めない人、計算ができない人の数は決して少ないものではありません。
アフリカのルワンダ共和国に長期出張したおり、1950年代からずっと内戦で、銃の取り扱いと球の数は数えられるけれど文字は読めないという60歳過ぎの男性が、授産施設でミシンを習い、可愛らしい花の刺繍を練習しているのを見て、非常に複雑な思いを持ったことがあります。
戦争は、あらゆる意味で罪深い所業と思います。
さて、そういう観点で考えると、日本人の「読み書きそろばん」の能力は、世界的に見ても非常に高いものがあると思います。
と同時に、日本の大学卒、大学院卒人材の能力を冷静に観察すると、この「よみかきそろばん」の水準から、ひとつ頭抜けた能力をもっている割合に、明らかな限界があると言って外れないのではないでしょうか?
海外の一定以上の水準をもつ大学を卒業した人材は、普通、2か国語は自由に使って仕事しています。
いまだ移民の多い米国、中国、インド、東欧圏には、地球上の様々な地域からやって来た優秀な人材が集まっています。
母語、地域で支配的な言語、例えばカザフスタンにおけるロシア語とかではなく、英語で大学を終え、英語でビジネスしているのが普通です。