パンダ3歳のお誕生日会 杭州動物園

パンダ3歳のお誕生日会。杭州動物園で。(2017年7月14日撮影)。(c)CNS/李忠 〔AFPBB News

 今回は、最初にクイズを出しましょう。

 「いま、教室の中に20人、あるいは30人程度の学生がいるとします。この中に、誕生日が同じ人、例えば1月1日生まれとか、12月24日生まれとかが1組以上いる確率は、どれくらいだと思いますか?」

 これ、2~3週間前、教養学部1・2年生のクラスで実際に学生に手を挙げてもらって、「ヤマカンでもいいから、どんなふうに思う?」と訊ねた質問です。

 あるいは別の訊ね方をするなら「何人くらい集まったら、同じ誕生日の人がいると思われるでしょうか?」

 暗号学をご存じなら有名な「バースデー・パラドクス」という話題です。しかし、うちの大学の教養学部で私が開講している暗号通貨・ビットコインなどを扱うクラスでは、事前に知っている学生は1人もいませんでした。

 よろしければ、ちょっと考えてみてください。

出発点は中学から

 大学入試や教育制度の実情と、そこにある死角、結果的に生じやすい内外格差などについて、系統だってお話しています。

 前回、連載の前半をご覧になって「文系が理数に弱いという話?」といった反応をくださる方もありましたが、残念ながら逆もまた真なりで、理系バリバリのSEなどとして修士や博士を採用しても、金融も経営も全く素人という青年は決して少なくありません。

 要するに、日本では、たかだかピンポイントで1つの専門を身につけていればよし、下手すればディシプリン=系統だった教育によって養われる実力を涵養しそこねたまま、大学学部を卒業して社会に出てしまうケースが少なくない。

 翻って、広く海外の高水準大学の現状を見れば、主専攻と副専攻、ふたつの専門でそれなりにクリアするのが大変なカリキュラムを修了して、バリバリやっている人が少なくない。

 何とかすべきだと、大学人としては考えるのですが、日本の現状を見るに、ここで出発点とすべきは、大学レベルでは全くなく、実は高校レベルですらなく、実は中学レベルからスタートするのが、現実には一番の早道であるように思われます。