水を切る道具として使われている竹ザル

 レシピを見ていると、「水(気)を切る」という言葉がよく出てくる。豆腐の水を切ったり、洗った野菜の水を切ったりしてから、和えたり、炒めたり、揚げたりと次の調理に進む。

 いつもさらっと書いてあるだけだが、「水切り」はもっと重要視されてもいいんじゃないかと常々思っている。

 「水切り」をちゃんとしないと、あとあと味に影響する。例えば、サラダに余分な水分が残っていると、葉物野菜のパリッとした食感が楽しめないどころか、ドレッシングの味も薄まって悲しいことになる。炒め物や揚げ物にしたって、仕上がりがべちゃっとなるのはもちろん、盛大な油はねが生じて後片付けが大変という、要らぬおまけもついてくる。

 なぜこうも「水切り」の重要性について力説するかというと、じつは私自身この作業が苦手だからだ。

 苦手もなにも、ザルに材料を入れて放っておけばいいじゃないかと思うかもしれない。だが、時間に余裕がないときも多い。おまけに手際がそれほどいいわけでもない。バタバタと料理しているうちに、水を切ったつもりがちゃんと切れていないことがよくある。

 加えて、頃合いが見極められないというのも苦手とする一因だろう。水に浸していた千切りキャベツをどのぐらいザルでちゃっちゃと振れば完璧なのか。塩を振って水気が出た魚をどの程度、キッチンペーパーで拭けばいいのか。みずみずしさを保ちながら、しっかり水分は取り除くというベストな「水切り」具合がどうにもよくわからない。

 というわけで前置きが長くなったが、料理にはつきものの「水を切る」という、地味だけれど大事な一工程に光を当ててみたい。

「そうり」の読みが転じて「ざる」に

 水を切る道具といえば、真っ先に思い浮かぶのが「ザル」だ。同じく編んで作られるカゴと混同されることが多いが、カゴは水切りというより、もの入れとしての性格が強い。食器を入れて乾かす「水切りカゴ」もあるが、これはどちらかと言えば収納に重きが置かれているということだろう。

 ザルやカゴなどの編組品の歴史は、日本では少なくとも縄文時代までさかのぼる。

 その証拠とされるのが、青森県八戸市にある縄文時代後期の是川遺跡から出土した籃胎(らんたい)漆器だ。これは竹で編んだカゴに漆を塗ったもので、見るとアジア家具屋に置いてあってもおかしくないようなものだ。また、時代は下るが兵庫県尼崎市の田能遺跡からも大小2つの丸い竹ザルが出土している。

 編組品は傷みやすく燃えやすいため、古いものは残りにくいと言われている。だが、そうした少ない出土品からも、いまと変わらない編む技術がすでにこの頃には確立されていたことがわかる。

 もの自体は古くからあるザルだが、その呼び方は意外と新しく江戸時代になってからだ。新井白石著で1717(享保2)年に成立した『東雅』という語源を記した語学書には、「ざる」の項目に以下のように書かれている。

<いがきをいふは、笊籬の音也といへり、和名鈔に、むぎすくひと訓じ、下學集には、さうりいがきと注せり、甲斐のあたりには、いざるともいふなり、西國にては、さうけ、美濃、尾張にては、しやうけといへり、是も笊の笥(ケ)といへるなるべし、山城にてざるといふは、四角に組たる籠なり>

 これを読むと、ザルはもともと「笊籬」と書いて、「いがき」と呼ばれていたことがわかる。ちなみに「いかき」と濁らないこともあった。さらに平安時代の934(承平4)年頃に成立したとされる辞書『和名類聚抄』では「笊籬」に「ムギスクイ」という読み方をあて、室町時代の1444(文安元)年成立の辞書『下学集(かがくしゅう)』では「そうりいがき」と呼んでいたことも記されている。また、地方によって呼び方が異なることも解説している。