ちゃっちゃと切ることはできないザルの話

変わるキッチン(第16回)〜水を切る

2015.08.28(Fri)澁川 祐子

 『東雅』には「笊籬(むきすくひ)」の項目もあり、そこでは語源についてもふれられている。

<下學集に、笊籬は味噌漉(ミソコシ)なりと注し、旁にサウリイカキと注せり、サウリとは其字の音を呼びしにて、又イカキともいひしと見えたり、今の如きは、是等の類すべてこれをザルといふ、ザルとはサウリといひし語の轉じ訛れるなり>

 「笊籬」に「みそこし」「そうりいかき」「いかき」などと、さまざまな読みを当て、さらに「そうり」の読みが転じたのが「ざる」と言うわけだ。現在でも関西地方では「いがき」「いかき」、北陸や中国地方では「そうけ」、沖縄では「ソーキ」などの呼び方が残っている。ちなみに「ソーキそば」のソーキ(あばら肉)は、肋骨の櫛状の形がザルに似ていることからこの名がつけられた。

 では次に、もう少し詳しく言葉の移り変わりをたどりながら、ザルの変遷を見ていこう。

麺とともに「湯切り」も伝来

 先に述べたように『和名類聚抄』において、ザルの語源である「笊籬」は「ムギスクイ」と呼ばれ、「麦索(むぎなわ)を煮る籠なり」と記されている。「麦索」とは、奈良時代に中国から入ってきた麺のこと。ザルの形がどうだったかは定かではないが、この一文を読むかぎりでは麺を入れたザルごとお湯で茹でて使っていたようだ。

 また、同じく平安時代には「したみ」「したみこ」という呼び方もあった。967(康保4)年に施行された法令集『延喜式』では、「漉籠」と書き、『台所道具いまむかし』(小泉和子著、平凡社、1994年)によれば、<茹でた餅を漉(した)む、つまり水をきるもの>だったという。餅は、先の「麦索」と同じく麺のことを指している。つまり、麺の伝来とともに、ザルに麺の水を切るという新たな使い途が見出されたのだ。

1351(観応2)年制作の『慕帰絵詞(ぼきえことば)』には、茹でた素麺らしき麺をザルに山盛りにし、そこから椀へと取り分ける様子が描かれている(所蔵:国立国会図書館)

 さらに時代が下った室町時代、ザルにまた新しい役割と呼び方が加わる。

 その役割とは、味噌を「こす」ことだ。味噌汁の普及にともない、味噌をこす道具として取ってつきの深型の小さなザルが使われるようになったのだ。味噌こしについては、詳しくは「こす」の回を参照してほしい。

 呼び方では、「笊籬」を「そうり」と中国語に倣って音読みするようになった。また、先の『東雅』でもふれられているように、「笊」の字に食器やものを入れる箱を示す「笥」をつけて、「笊笥(そうけ)」と呼ぶようにもなった。

江戸時代で「ザル」は多様化する

 そして江戸時代に入ると、さまざまな呼び方を残したまま、ようやくザルという呼び方が登場する。またこの時代には、用途に合わせていろいろな大きさや形のザルがつくられるようなった。

 1712(正徳2)年頃に成立したとされる百科事典『和漢三才図会』を見ると、ザルとして「飯蘿(いかき、ハンロウ)」と「笊籬(むぎすくい)」の2項目が挙げられている。

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