豊臣兄弟の足元を固める家族の「温度差」
今回の放送では、秀吉だけではなく、秀長のほかの家族も続々と登場した。秀長と同じく、いや、秀長以上に兄の秀吉の帰省に嫌悪感を示したのが、「とも」である。
実名は定かではなく、天文元(1532)年、あるいは、天文3(1534)年に誕生した。尾張国出身の弥助(のちの三好吉房)のもとに嫁ぎ、秀次、秀勝、秀保の三男をもうけることになる。この秀次は前述したように、戦いで失敗し秀吉から叱責を受けるが、秀長にかばわれた人物である。
ともは3人の男児のうち、秀次、秀勝を秀吉の養子に、秀保を秀長の養子とすることになる。豊臣家滅亡まで生き抜いたともだったが、その生涯は波瀾万丈で悲劇にも多く見舞われた。ドラマでは、天下人となった秀吉にも物おじしない性格で描かれそうなので、今後も2人のやりとりが楽しみだ。
一方、ドラマで秀吉が「朝日か! わしのことを覚えているか?」と声をかけたのが、豊臣秀長の妹の朝日である。天文12(1543)年、尾張国中村で大政所の娘として生まれた。秀長より3歳年下で、4人兄妹の末っ子となる。
姉のとものことは知らないが、妹の朝日のことは知っているという読者もいるかもしれない。兄の天下統一の野望のために、朝日もまた重要な役割を果たすことになる。
そして、とも・秀吉・秀長・朝日と4人の子どもを育て上げたのが、なか(大政所)である。正確な名前は定かでなく、法名から「天瑞寺殿」とも呼ばれるが、一般的には『絵本太閤記』に出てくる俗名の「仲(なか)」がよく知られている。
今回の放送では、みなが煙たがる秀吉との再会を、母だけが大喜び。しっかりと抱きしめて「お帰り! よう帰ってきたねえ」と声をかけた。
実際の秀吉は、後年に母が危篤状態になると、病気快復のための祈祷を、各寺社に要請。「母がもし快復したら、1万石を寄付する」という立願状まで13カ所の寺院に送っている。秀吉がそこまで取り乱したのは、まさにこんな母の愛情があったからだろう。
ドラマでは、食糧のことをともが心配しても「まあなんとかなるわ」と動じなかった、なか。彼女もまた、秀吉の出世とともに人生が激変するが、このキャラクターなら豪快に乗り越えていきそうだ。