四代目・蔦屋重三郎 二世三亭春馬
四代目・蔦屋重三郎となったのは、後の二世三亭春馬だという(鈴木俊幸『近世文学研究叢書9 蔦屋重三郎』)。
長谷川元寛編集「かくやいかにの記」(三田村鳶魚校訂 随筆同好会編『未刊随筆百種 第8』所収)第八十一段に、「二世春馬は予が旧友にて、寛政の頃を盛りに経し、絵冊子の板元蔦屋重三郎 耕書堂 狂名蔦から丸が三代目なり」と記されている。
三亭春馬(二世)のペンネームをもつ四代目・蔦屋重三郎は、文筆業でその才を発揮した。
だが、地本問屋の株を山田屋庄次郎に譲り、事実上、江戸においての書籍販売業から、撤退した。
また、富本節の稽古本の権利も手放したという(以上、『台東区中央図書館 郷土・資料調査室報 2024 令和6年3月 第14号』)。
四代目・蔦屋重三郎は、文久元年(1861)10月1日に没した。
この年、耕書堂は廃業したが(田中優子『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』)、明治時代の初めまで、小売りのみの営業を行なっていたという(『蔦屋重三郎と天明・寛政の浮世絵師たち』)。