三代目・蔦屋重三郎 吉原細見の権利を手放す
二代目・蔦屋重三郎は、天保4年(1833)に没した。
三代目・蔦屋重三郎に関しては、鈴木俊幸『近世文学研究叢書9 蔦屋重三郎』に「祐助(二代目・蔦屋重三郎の息子)が三代目を継ぐことになる」とある。
また同書には、霜傑亭越智直澄『牛の歩行』に、「三代目 尾州永楽屋の弟 今の蔦屋重三郎也」とあるとし、「否定する材料も肯定する材料もないが、可能性は多分にあろう」とも記されている。
ドラマにも、尾張の版元・佃典彦が演じた永楽屋東四郎が登場している。
三代目・蔦屋重三郎は、この永楽屋東四郎ゆかりの者なのだろうか。
いずれにせよ三代目・蔦屋重三郎は、天保8年(1837)冬には、独占していた『吉原細見』の株を、版元の伊勢屋三次郎に譲っている。
経営は厳しかったのかもしれない。
三代目・蔦屋重三郎は、同年12月13日に亡くなった。