当時のストーリーRPG
優れたストーリーテラーである堀井雄二に、ドラゴンクエストをヒットさせる意欲はあったはずだが、それを今日でいう「王道」にする意思にこだわっていなかった可能性がある。
そもそも、当時はまだ、「王道RPG=ハッピーエンド」という図式が確立されておらず、理不尽さやバッドエンドこそが「名作のリアル」とされていた節さえある。
例えば、ドラゴンクエストIIの前年に発売されたパソコンゲーム『アスピック』(クリスタルソフト、4800円、1986)。
これはゲーム作中のメッセージなどで示唆されているように、ラスボスを倒すと、主人公がそのラスボスとなってしまうバッドエンドが用意されている。
ハッピーエンドへの分岐があるわけではなく、それが真エンディングなのだ。
他にもゲームの進行によって、ハッピーエンドに行き着けなくなる作品はたくさんあった。
その片鱗は、初代『ドラゴンクエスト』(エニックス、5500円、1986年1月発売)にも認められ、ラスボスの「りゅうおう」への誘いに、初志を忘れた応答をしてしまうと、その高笑いと共に、異質の展開を迎えてゲームが終わってしまう。
日本のRPGは、まだ『ウルティマ』『ウィザードリィ』のような、ハードでダークなアメリカのRPGの影響が色濃く、ホラー的要素も強かった。
そこに『南総里見八犬伝』のような、日本人好みの、少年少女が旅立ち、勧善懲悪の冒険を繰り返して、最終的には彼らが勇気・友情・努力でもって、巨悪を滅ぼし、スカッとした大団円のハッピーエンドを迎えるというストーリー要素を融合し、強化させたのが、『ドラゴンクエストII』である。