
(歴史家:乃至政彦)
空想特撮シリーズ『ウルトラマン』の冷酷な侵略者バルタン星人は、人類との対話で「生命」の意味が通じず、科特隊を驚かせた。その高度な技術と価値観の相違無は、一体どこから来たものなのか? 本稿ではバルタン星人の起源と共に、AIの意義を問いかけていく。
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私は歴史が本業なため、日々「if(もしも)」を考えることが多い。例えば、「長篠の戦で大雨が降っていたら?」「上杉謙信があと1年生きていたら?」「関ヶ原当日まで岐阜城が持ちこたえていたら?」等々──。
空想ではあるが、こうした仮定の先にしか見えてこない事実や構造がある。
信長は「雨対策」を想定していたのか、謙信の死は人々の路線をどう変えたのか。岐阜城の早期陥落が西軍の戦略をどこまで縮小したのか。
空想は、歴史を考えるうえでの重要な道具になる。
今回のコラムではその「空想力」を、純粋に趣味の領域──空想特撮シリーズ『ウルトラマン』(1966年)に向けてみたい。取り上げるのは、第2話「侵略者を撃て」に登場した宇宙人、バルタン星人である。
バルタン星人の概要
バルタン星人は、「フォフォフォ」の笑い声とハサミ状の両手で特撮ファンに強烈な印象を残す。第2話と第16話「科特隊宇宙へ」で地球侵略を企てる彼らは、高度な科学技術を持ちながら、人類の「生命」を理解しないとされる。
20億の同胞を持ち、種の存続を重視する生命体が、なぜ他者の生命を軽視するのか?
そうした矛盾を埋めるものとして、前々から考えていた仮説がある。バルタン星人が「自然発祥ではない生命体」で、進化の過程をスキップしたために「生命」の価値を欠落したのではないかというものである。
本稿では、この仮説を筆者の考察として披露し、劇中の描写をもとに検証する。一方で、自然進化した生命体が極限状況で倫理を失った可能性とも比較し、彼らの起源を探る。