
(歴史家:乃至政彦)
いつから〈兵種別編成〉があったのか?
今回のテーマは戦国時代の軍制である。これまで私も強調していた「戦国時代の軍隊は〈領主別編成〉から〈兵種別編成〉へ変化した」とする通説だが、ここに若干の修正をしておきたい。
〈領主別編成〉と〈兵種別編成〉の違い
まず一般的に知られる〈領主別編成〉について説明しよう。この用語は、戦国軍事史を考える上で欠かせない概念となっている。
簡単にいうと、武士の軍隊は、戦国時代のある時期まで、それぞれ自由に手下を連れて戦場に集まり、私兵と私兵が寄せ集まっただけの雑多な集団だった──とする解釈、これが〈領主別編成〉の特徴である。
「今回の戦に、ぜひとも参加させていただきたい」
中世にはこのように地元の武士が、大軍のもとに参陣することがよくあった。
しかし、彼らが総大将の望む武装と人数を揃えているわけではない。弓、槍、馬の数はおそらくバラバラだった。こんな状況で兵数が無計画に集まっても「弓隊」「鉄砲隊」「騎馬隊」という編成などできなかったのではないか。中世の武士は未熟な軍隊しか構成できなかったはずだ──。
こうしたイメージを広めたのは、戦国時代に純粋な「騎馬隊」はなかったとする新説を提唱した鈴木眞哉氏だろう。
特に騎馬隊懐疑説は非常に広く支持された。
そして「騎馬隊を編成できないなら、鉄砲隊だって編成できなかったはず。長柄を揃えた槍襖(やりぶすま)などなおさら難しいだろう」となり、中世の武士は〈領主別編成〉だったとする認識が定着した。