ワガママさのおかげで命拾いした“天ぷら男”

 しかし、土壇場でチャップリンは、スターらしい気まぐれを見せる。晩さん会の出席を伝えた30分後に、こんなことを言い出したのである。

「やっぱり総理大臣の歓迎会には行かない。相撲に行きたい」

 予想外のワガママぶりに、関係者は血の気が引いたことだろう。総理との面会は17日へと延期されることになったが、チャップリンが総理大臣の犬養毅と会うことは叶わなかった。

 この日、15日に古賀ら海軍青年将校たちを中心としたクーデターが敢行される。海軍青年将校・陸軍士官学校生徒らが首相官邸などを襲撃。犬養毅は射殺されてしまう。

五・一五事件。故犬養毅首相の政友会葬(1932年5月19日、日本電報通信社撮影/提供元:共同通信社)

 チャップリンは相撲見学を堪能し、銀座をブラブラしているときに、そんな衝撃的なニュースを知ることとなった。

 もし、自分が相撲見学を言い出さなければ、どうなっていたのか……。考えただけで身震いしたことだろう。身の危険を感じて、すぐに帰国することも検討したという。

 それでも結局、チャップリンは日本に引き続き滞在。上野の美術館で浮世絵を鑑賞したり、歌舞伎などの伝統文化を楽しんだりしながら、約20日を過ごしている。食事は銀座の「花長」に何度も通った。1回にエビの天ぷらを30尾も平らげるほどの天ぷら好きで、新聞に“天ぷら男”というあだ名までつけられている。

1932年5月14日に初来日したチャーリー・チャプリン。料亭で永田秀次郎東京市長(左)と会食、好物はエビの天ぷらだった(写真:共同通信社)

 暗殺の危機に晒されて、よくぞ日本旅行を堪能する気になれたものだ。もしかしたら、「人間はいつ死ぬかわからない」と改めて実感し、開き直ってとことん楽しんだのかもしれない。チャップリンは生涯にわたって、4度も日本を訪問している。