「チャップリン暗殺計画」は実行寸前だった

 チャップリンは5月14日に神戸港に到着する。チャップリンとしては、一刻も早く京都や大阪に行き、日本の伝統芸能を楽しみたかったようだ。

 ところが、当時は外国人排斥の動きがあったために、まずは東京で犬養毅総理に挨拶をしておいたほうがよいだろう、ということになった。アドバイスを行ったのは、元陸軍大将の櫻井忠温(さくらい ただよし)。秘書の高野とは友人だったため、チャップリンにも伝えやすかったのだろう。

 その日のうちに東京へと向かうと、翌日の5月15日の朝10時30分に、首相秘書官の犬養健(いぬかい たける)が帝国ホテルに到着。総理も参加する晩さん会への出席を求められて、チャップリンは快諾している。

 まさか、このとき身に危険が迫っているとは、夢にも思わなかっただろう。海軍将校の古賀清志らは、この日にクーデター決行を決意。チャップリンが晩さん会に参加すると聞いて、標的に加えることにしたのだという。

 このときの心境について、古賀は後に法廷でこう証言した。

「アメリカのスターを暗殺することで日米関係を動揺せしめ、日米開戦に持ち込めると思った」

 チャップリン襲撃――。その瞬間が刻一刻と近づいていた。