手塚治虫さん(1981年、写真:Françoise Huguier/Agence Vu/アフロ)
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 NHKの連続テレビ小説『あんぱん』がいよいよ最終回を迎える。主人公の朝田のぶは漫画家やなせたかしの妻・暢(のぶ)をモデルにしており、やなせたかしをモデルとした「柳井嵩(やない たかし)」との物語だが、他にも個性的な人物が続々と登場。作曲家のいずみたくをモデルにした「いせたくや」や、放送作家・作詞家・文化人として活躍した永六輔をモデルにした六原永輔(ろくはら えいすけ)らがドラマを盛り上げている。中でも異彩を放っているのが、手塚治虫をモデルにした手嶌治虫(てじま おさむ)だ。「漫画の神様」とも呼ばれた手塚治虫はどんな人物だったのか。近著に『大器晩成列伝』がある著述家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

「漫画の神様」を生んだ母の言葉

「好きな道に進むのはいいが、田舎の中学で少し絵がうまいくらいでは、それで食べていくことができるとは思えない」

 やなせたかしが中学生の頃に「絵の勉強がしたい」と打ち明けたときに、育ての親である叔父に言われた言葉だ。厳しい現実を突きつけられたやなせは、暗澹たる気持ちになったことだろう。しかし、叔父はこう続けた。

「だが、図案をやれば、将来、職業になるんじゃないか」

 叔父のアドバイスを受けてやなせは、苦手な数学に苦心しながらも、東京高等工芸学校の図案科に合格。卒業後はイラストレーター、デザイナー、漫画家、絵本作家など、多方面で活躍するようになる。

 やなせより9歳年下で「漫画の神様」とよばれた手塚治虫もまた、親の言葉に後押しされて、羽ばたくこととなる。

 幼い手塚の豊かな発想力に気づいた母は、本や漫画を熱心に読み聞かせた。登場人物によって声色を変えたり、感動的な場面は語りで盛り上げたりと、手塚を本や漫画の世界へと引き込んでいった。

 手塚は小学生になると、自分でも漫画を描くようになるが、教師に見つかって激怒されてしまう。母が学校に呼び出されるという騒ぎになったが、帰宅後に手塚にこう言った。

「どんな漫画を描いていたのか見せてちょうだい」

 手塚がノートを持ってくると、母は最初から最後までじっくり見て、こう言ったという。

「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください」

 母の言葉を受けて、ますます創作に励んだ手塚は、その一方で大阪帝国大学附属医学専門部に通い、医師免許を取得。在学中から漫画家として活動していたが、やがて両立に苦しむことになる。

 手塚が母に相談したところ、「あなたは漫画と医者とどっちが好きなの?」と問いかけられた。手塚が「漫画です」と答えると、母はあっさりとこう言った。

「じゃ、漫画家になりなさい」

 漫画家の地位が著しく低い時代だったが、一貫して手塚の「好き」を大切にした母。やなせが叔父から背中を押されたように、手塚もまた親の言葉に勇気づけられて、自分の道を突き進むことになる。