自らが運営するアートスペース「sonatine」で展示会の狙いを語る溝口さん
若手社員はなぜ会社を辞めるのか? 入社して数年で、あるいは30代前後で転職を経験した人たちを、元新聞記者の大学教員、韓光勲氏が紹介する連載「若手が会社を辞めるとき」。「若手社員が辞める理由」と「辞めた若手社員はどこへ行ったのか」を明らかにしていく。(JBpress)
(韓光勲:梅花女子大学専任講師、社会学研究者)
「顧客の顔が見えにくかった」アパレルメーカーでの仕事
今回は奈良県奈良市でアートスペースを営む溝口菜津美さん(31)に話を聞いた。溝口さんは新卒で入ったアパレルメーカーで8年働いた後、スタートアップ企業に転職。だがそこでの仕事が合わず、1年で会社を辞め、奈良でアートスペースを開業した。彼女はなぜ仕事を2回辞め、自営業の道を選んだのだろうか。
溝口さんは岡山県の高校を卒業後、大阪大学外国語学部で朝鮮語を専攻した。中学生の頃から英語が好きで、「外国の人に日本の良さを発信したい」と考えて外国語学部へ進学。ソウル大学にも1年間留学し、韓国語を磨いた。幼いころから家族で美術館によく行く機会があり、祖父はアマチュアの油絵画家だった。ソウル大学でもデザインやアートについて学んだ。
新卒で入った会社は大阪市内に本社がある婦人服専門のアパレルメーカーだった。社員数は500~600人程度で、髙島屋などの大手百貨店に店舗をいくつも構えていた。1年目は大阪府堺市の店舗に配属され、販売員として働いた。溝口さんは「目の前のお客さんのために服を提案し、買ってくれた時はすごくうれしかった。手触りのあるやりがいがあった」と当時を振り返る。2年目に本社の企画部に移り、「マーチャンダイザー」のアシスタントになった。
マーチャンダイザーとは、商品の開発から販売戦略までを担う仕事である。どういう服を作り、作った服をどうやって売るのか。どこの店舗にどういう組み合わせで販売するのか……。これらを一手に担うのがマーチャンダイザーの役割である。