ラクスマン(写真:Alamy/アフロ)
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 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第42回「招かれざる客」では、「身上半減」の処罰でダメージを受けた蔦重が、巻き返しを図る。一方、老中首座の松平定信は次々と難題に直面することになり……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

ロシアのラクスマンが松前藩主に突きつけた要求

 いつからを「幕末」と呼ぶのか。アメリカのマシュー・ペリー提督率いる黒船が浦賀湾に現れた嘉永6(1853)年から幕末が始まった、とするのが一般的である。

 ペリー来航のときの将軍は、12代の徳川家慶(いえよし)だ。大河ドラマ『べらぼう』では、10代将軍の徳川家治(いえはる)の治世から11代将軍の家斉(いえなり)へと移行する様子が描かれた。第41回「歌麿筆美人大首絵」では、家斉の嫡男・竹千代が誕生したが、史実において、この長男は早世してしまい、その次男が12代将軍となる家慶である。

 時期としては、家慶が享年61で人生を終えようとしているときに、アメリカから黒船が来航することになる。だが、ペリーに先駆けて日本に通商を求めた人物がいた。ロシアの軍人ラクスマンである。

 寛政5(1793)年、ラクスマンは日本人漂流民・大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)らを連れて、根室地方に来航。通商を要求するラクスマンに対していかに対応すべきか。頭を悩ませることになったのが、老中首座の松平定信だった。

 ラクスマンが警備の藩士を通じて松前藩主宛てに出した書状によると「漂流民を送り届けるために江戸に向かいたい」とのこと。その際に安全に入港できるように、中央政府から許可をもらってほしい、という要求を松前藩主に突きつけた。

 ドラマでは、松平定信のもとに「オロシャの船がやってまいりました」という報告がなされると「オロシャとの国交……そして通商か」「いっそ、この際認めてもよいかもしれませぬな」と前向きな発言も相次ぐ中、定信は「ならぬ!」と激高して、こう続けた。

「オロシャの船を江戸に入れるなど断じてならぬ! 口車に乗せられ、江戸に招き入れたところ大筒(おおづつ)をぶっぱなさぬとも限らぬではないか!」

 実際の定信は、ラクスマン一行に対して、入港許可証である「信牌(しんぱい)」を与えている。ドラマでの展開に違和感を持った視聴者もいたかもしれない。

 だが、限定的にせよ通商を認めるに当たっては、葛藤を重ねたうえでの、苦渋の決断があった。