松平定信(イラスト:ペイレスイメージズ 2/PIXTA)
NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第37回「地獄に京伝」では、お抱えの戯作者たちが去っていく中、蔦重は山東京伝に執筆を依頼する。一方、松平定信は改革の手を緩めることなく、大奥の女中たちにも倹約させようとするが……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
「善玉」「悪玉」の言葉を生んだマルチクリエーター山東京伝
大河ドラマ『べらぼう』で初めて黄表紙のことを知り、「江戸時代にこんな本のジャンルがあったのか」と知った視聴者も少なくないだろう。だが、実は私たちは知らず知らずのうちに、黄表紙の世界に触れていたりする。
その代表例が「善玉」「悪玉」だ。今はコレステロールを善玉コレステロールと悪玉コレステロールに分類したりもするが、「善玉」「悪玉」のルーツは戯作者・山東京伝の『心学早染草(しんがくはやそめぐさ)』にある。
山東京伝は宝暦11(1761)年、深川木場にて質屋の長男として生まれた。13歳のときに京橋銀座一丁目に移り住み、15歳で絵師の北尾重政(しげまさ)に入門。当初、「北尾政演(きたお まさのぶ)」の名で画工として世に出ており、18歳で黄表紙『開帳利益札遊合(かいちょうりやくのめくりあい)』の絵を担当している。
それから2年後の20歳のときに黄表紙『娘敵討古郷錦(むすめかたきうちこきょうのにしき)』で振袖美人の敵討ちを描いて、戯作者としてもデビューを果たすと、同年『米饅頭始(よねまんじゅうのはじまり)』を大手の版元「鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)」から出版。ともに画作は「北尾政演」で、絵も文も手がけているのだから、今でいうところのマルチクリエーターだ。
22歳のときに、出版業界の動向を面白おかしく書いた『(手前勝手)御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』を出版(版元は鶴屋喜右衛門)すると、大田南畝が激賞。一躍、有名戯作者となった。
蔦重のプロデュースでは、24歳のときに『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』を世に放っている。ルックスはイマイチなのに自惚れだけはやたらと強い金持ちのボンボンが、イケてる男になるべく、ばかばかしい努力を重ねるストーリーで、大ヒットを飛ばすことになった。
「善玉」「悪玉」という言葉を生み出した『心学早染草』も、アイデアあふれる京伝らしい作品で、心の中の葛藤をふんどしや袴姿で、顔に「善」「悪」の文字を描いた特徴的なキャラクターで表現している。
『善玉悪玉/心学早染草寫本』(東京都立中央図書館所蔵/出典:国書データベース/https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100053809/1?ln=ja)
これが「善玉」「悪玉」として大人気になり、「良い者」「悪い者」の意味に転じて、その後の戯作や浮世絵、そして歌舞伎の世界にも影響を与えた。現代では「善玉菌と悪玉菌」「善玉コレステロールと悪玉コレステロール」のように「人体の健康に良い影響を及ぼすもの」「悪い影響を及ぼすもの」の意味としても使われるようになった。
『べらぼう』では、これからもさまざまな出版物が登場する。松平定信による出版規制が、作品の傾向にどんな変化を生じさせたのか。そして、江戸中期に生み出された作品が、後世の創作にどんな影響を与えたのかを見てみるのも面白いだろう。