「日の本は岩戸神楽の昔から女ならでは夜の明けぬ国」

 主人公は、「世の中をついでに生きているような」呑気な亭主です。

 商売は失敗続きで、なんとか機転が利く女房のおかげでやっていけているような状態です。その日も市場に行って、時期的に売れるわけがない古い太鼓を仕入れて来ます。女房は「売れっこない」と、呆れ果てますが、たまたま店の小僧が叩いた音色を聞きつけ、お役人がやってきます。

「殿がお駕籠(かご)でご通行の折にその太鼓に興味を持ったので、屋敷に持って参れ」との仰せに亭主は大喜びをするのですが、女房は「音しか聞いてないからだ。現物を見たら、買うわけない。むしろ逆にお殿様は激怒してお前さんはえらい目に遭うに決まっている」と脅します。

 お殿様を前に大失敗をするのではないかと案じた女房は、「『売るつもりはありません。見せに来ただけです』というんだよ」とアドバイスします。さらに、「お前さんは、まともじゃないんだよ。バカが太鼓背負って歩いているということを忘れちゃいけないよ!」と強い口調でとにかく下手にでるように念を押します。

 そう女房に言われた亭主はオドオドしながらお殿様のところに太鼓を持っていくと、あにはからんや、お殿様は「火焔太鼓」という名器だと言って、高い値で売れてしまうのです。

 亭主は大喜びで現金を持って帰ってくると、女房は先ほどの「上から目線」からは打って変わって、「お前さんは商売上手」と亭主をおだてて甘えて見せます。

 この「火焔太鼓」で描かれている女性は、「錦の袈裟」のように亭主をピンチから救う役回りに加えて、男性を操るしたたかな「操縦術」も描いています。その辺りの絶妙な茶目っ気あふれるドタバタ感は、昭和の名人・古今亭志ん生師匠と、その息子の志ん朝師匠の名演でお楽しみください。

 この2つの落語に共通するのは、一見すると男性中心に見えても、女性の力なくしては回らないという、至極当たり前な社会のあり方を描いているという点です。落語の主人公は男性ばかりですが、そこでは多くの女性が主役を食うほどの重要な役回りとして、敬意を持って描かれて来ました。

 落語家は、そんな女性が出て来る噺の枕で「日の本は岩戸神楽の昔から女ならでは夜の明けぬ国」などという歌を詠んだりしてもいます。つまり、日本は女性が活躍しないとうまくいかない国だ、ということです。

 高騰し続ける物価、移民問題、子育て支援、国防の問題、ジェンダー平等の実現……日本が抱える問題は山積みであります。もちろん、現実の社会は落語のようにハッピーエンドになるとは限りません。それでも、我が師匠、談志はいつも言っていました。「世の中は、男が作って男がダメにしちまったんだ。直してゆくのは女なのかもな」と。

 今までの首相を落語の登場人物として強引にカテゴライズしてみますと、安倍さん、岸田さんは、落語に出て来る「若旦那」系キャラでしょうか。石破さんはといえば、融通の利きそうにない『井戸の茶碗』の清兵衛さん的キャラ、麻生さんはいわば、一言余計な「小言幸兵衛」的キャラでありましょうか。

 正直、庶民の生活実感としては、そんなキャラがトップに立ち続けてきた日本は、なんとなく停滞感が付きまとっていたのは否めません。

 そんな中での高市さんの登場であります。

 さすがに「待ってました!」という感じではなく、いわば数合わせによって誕生した女性初の首相ではありますが、今のところ期待されていることは間違いないでしょう。

 はてさて、高市さんは日本をピンチから救ってくれるのでしょうか。

 どうなりますことやら。今後に注目してまいりましょう。

立川談慶(たてかわ・だんけい) 落語家。立川流真打ち。
1965年、長野県上田市生まれ。慶應義塾大学経済学部でマルクス経済学を専攻。卒業後、株式会社ワコールで3年間の勤務を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。二つ目昇進を機に2000年、「立川談慶」を命名。2005年、真打ちに昇進。著書に『教養としての落語』(サンマーク出版)、『落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方』、『安政五年、江戸パンデミック。〜江戸っ子流コロナ撃退法』(エムオン・エンタテインメント)、『狂気の気づかい: 伝説の落語家・立川談志に最も怒られた弟子が教わった大切なこと』(東洋経済新報社)など多数の“本書く派”落語家にして、ベンチプレスで100㎏を挙上する怪力。