騙されるのは「嘘リテラシー」が足りないから?(写真:moonmoon/イメージマート)
(立川 談慶:落語家、著述家、筋トレ愛好家)
巷を賑わした「7月5日に大地震が起きる」といった流言飛語、あるいはAIが生成した精巧なフェイク動画によって「だまされた!」という話が後を絶ちません。このところ、流言や嘘を信じてしまったばかりに、平穏無事な生活がかき乱されたり、実際に被害を被ったりしてしまうといったケースが、なんだか増えているように感じます。
SNSなどを巧みに活用した特殊詐欺やサイバー犯罪が増えているからかもしれませんが、それだけではないような気がしています。今回はなぜ、そんな社会になってしまったのか、いつも嘘のような話ばかりしている落語家なりに考えてみたいと思います。
結論から先に申し上げると、現代社会における「嘘リテラシー」の著しい低下が背景にあるのではないでしょうか。
今年還暦を迎える私自身が若かりし頃の日本は、むしろ他愛のない嘘やインチキが横行する、よく言えば“おおらかな社会”でもありました。少年誌に出ていたインチキ広告「入会したその日に瓦(かわら)を素手で割れる」と謳う「通信教育の空手講座」に応募しようとしたことがありましたっけ(実際入会した友人もいました)。
なんともまあ、のどかな昔は、そんなバカバカしい嘘をあちこちで目にしました。人々はそうした「他愛のない嘘」に引っかかって小さなしくじりを経験することで、嘘に対する耐性を培っていたとも言えるような気がします。
他方、令和の現代社会では、コンプライアンス(法令遵守)の名の下で、そうした怪しい案件は徹底的に排除される傾向にあります。今、少年誌に「入会したその日に瓦を素手で割れる」などといった広告を載せようものなら、その雑誌は一発アウトでしょう。
もちろん、人を騙して儲けたり、相手を貶めたりすることは良いことではありません。先のようなインチキ広告についても被害に遭いつらい目にあった人もいたかもしれず、「他愛のない嘘」とは言い切れないでしょう。
でも、他愛のない、騙されたとしても笑ってやり過ごせる程度のちょっとした嘘に触れる機会がどんどん減っていくと、私たちは嘘に対する「免疫」を失い、情報の真偽を見極める力が著しく低下してしまうという側面もあるのではないでしょうか。
「オレオレ詐欺」のような騙しのテクニックは日々、巧妙になっています。AIの登場でフェイクがSNSに氾濫するようになったいま、「嘘への免疫」が衰えてしまうと、巧妙化する詐欺に対して、ますます無防備になってしまわないでしょうか。
フェイクを取り締まることは大事です。悪質なフェイクについては、徹底して取り締まり、社会の安全を確保してほしいと思います。一方で、それと同時に私たち自身、嘘への免疫、つまりは「嘘リテラシー」を高める取り組みを強化し、自衛していく必要もあるでしょう。そのための有効な手段が、やはり落語です(笑)。
落語は、登場人物たちの滑稽なやり取りや、ときに誇張された表現を通して、人間の本質や世相を風刺する芸能でもあります。そして、そんな落語の中でも、『弥次郎』はまさに、嘘をテーマにした噺(はなし)であります。
嘘つきが主人公の『弥次郎』からは、フェイクが横行する現代に必要な「嘘リテラシー」の重要性が浮かんできます。舞台は、町内一の嘘つきというキャラの「弥次郎」が、ご隠居さんに北海道を訪れたという「嘘」をつくところから始まります。
では、あらすじを見てみましょう。
