認識の食い違いは、より深い関係への第一歩?トランプ大統領(左)と赤澤経済再生相(右)(写真:Xより)
(立川 談慶:落語家、著述家、筋トレ愛好家)
日本とアメリカの認識が大きく食い違った日米関税交渉の「合意」について、赤澤経済再生相が米閣僚と会談して、ひとまずはお互いに主張のすり合わせがなされたようです。具体的な内容についてはほかの記事でたくさん報じられているので割愛しますが、国家レベルの「言った、言わない」のやり取りを見て、一体どうなっているんだ?と首を傾げた方も多いのではないでしょうか。
実は私もその一人で、いやはや、落語の世界で描かれる「コミュニケーションのすれ違い」を現代に再現しているかのようだぁと眺めておりました。落語は、「そもそも人間のコミュニケーションなんてうまくいかないのが前提だ」という視点に立って、日常の何気ないシーンを笑いに変えてきました。
いわば落語は、人間のコミュニケーションの不完全さを笑いに変える芸術ともいえましょう。登場人物たちの勘違い、誤解、齟齬(そご)、情報の欠落が積み重なり、それが滑稽な状況を生み出します。
一例として『金明竹(きんめいちく)』という噺(はなし)があります。
この落語は、本編では、「大阪弁をまくしたてる奉公人と、店番を頼まれた与太郎という愚かしさの象徴のような人物、そして店の女将(おかみ)とその主人との間でコミュニーションが破綻する物語」となっていますが、それを予見するかのような前段階での与太郎と主人との掛け合いが爆笑を誘います。
その前段階のあらすじをご紹介しましょう。
