退職代行を使う若者が増えているという(写真:elutas/イメージマート)

(立川 談慶:落語家、著述家、筋トレ愛好家)

 近年、「退職代行サービス」が社会現象となっています。会社を辞めたいと思っても、上司に言い出せない、引き止められるのが怖い、面倒な手続きに関わりたくないといった人々が、専門業者に依頼して退職の意思表示や手続きを代行してもらうサービスです。

 調べてみますと、2000年代後半から始まったとされています。いまではざっと100社以上もの退職代行サービスの会社が存在するほどになったとのこと。

 かくいう私は、落語家になるにあたってそれまで勤めていた会社を辞める決意をしましたが、幸い、職場での人間関係も円満で、スムーズに辞めることができたもので、退職代行というシステムには隔世の感を覚えます。

 そう感じているのは、私だけではないようです。ゆえに、このサービスに対しては、「無責任だ」「甘えている」「そんな大切なことまでアウトソーシングするのか」などといった批判的な意見も少なくありません。

 しかし、私はここであえて申し上げたいのです。

 本当に問題なのは、退職代行という「サービス」そのものなのでしょうか。

 そうではなく、私は、退職代行が必要とされる社会が生まれてしまった背景の中にある人間関係の根深い軋轢(あつれき)、特にパワハラに象徴される不健全な力関係こそが、真に憂慮すべき事態ではないかと思うのです。

 退職代行を使わざるを得ない若者の痛みのもとは、そこにはないのです。

 そうした状況を考える上では、古くから愛される古典落語の一席、『化け物使い』が示唆に富むように思えています。

 では、あらすじを見てみましょう。