落語で描かれる、男の失敗を挽回する女たち
主人公の与太郎はあるとき、町内の若い衆らと吉原に遊びに出かけることになりました。若い衆たちは与太郎に「俺たちはそろいの錦の褌(ふんどし)で行く。お前も俺たちと一緒に行きたかったら、同じような褌を都合付けてこい」と伝えます。
ここでなんと与太郎は「女郎を買いにいくことを女房に相談」するのです。
いやあ、この辺のやりとりは、現代ですとコンプラ問題に触れるセンシティブな場面ですが、なんと与太郎の女房は、亭主に恥をかかせまいと、近所のお寺の住職から、「錦の袈裟」を借りて、こともあろうにそれを褌の代わりに締めさせて吉原に行かせるのです。
まあ、当時からの男の勝手な理想で描かれたに違いない理想の女房ですが、機転と賢さで亭主の本懐を遂げさせてしまう姿には、あっぱれと快哉(かいさい)を叫びたいほどの鮮やかさがあるものです。
結果、与太郎は花魁(おいらん)たちからモテモテとなり、無事に「男」としての面目を保てたのでした。
女房は表舞台に立ちませんが、旦那のピンチを裏で支え、家庭の安定を守る――。これこそが落語の女性の役割とも言えましょうか。
これを強引にこじつけて高市さんに重ねてみます。
彼女は自民党の保守派のマドンナ的存在として、長年「影の支え手」でありました。安倍内閣では総務大臣、岸田内閣のときには経済安全保障担当大臣を務めるなど重要ポストを歴任し、特に安倍さんの秘蔵っ子としての仕事をこなしてきたとみられています。
今回トランプ米大統領が日本に来た際には、にこやかにトランプさんと腕を組むシーンなどが色々なところで叩かれてはいます。それは、高市さんの姿が、40年ほど前に男女雇用機会均等法が成立した頃から、男性社会に斬り込んで、男性中心の社会で生き延びてきた女性の多くが醸し出す、独特な距離感を彷彿(ほうふつ)とさせるからでしょう。私もかつてワコールに勤務していたころ、そのような女性の先輩たちを見たような記憶が蘇りました。
早速、高市さんにはフェミニストで社会学者の上野千鶴子さんが、初の女性首相誕生でも「うれしくない」と噛み付いております*1。
*1:https://x.com/ueno_wan/status/1974822690893742402
初の女性首相となれば、与太郎を陰で支えてきた女房が初めて表に出るようなものでしょうか。いや、無論今までの首相が決して与太郎だったとは申し上げませんし、また彼女の言動を絶賛するわけでもありませんが、ただ好き嫌いは別にして、大衆の多くが「時代の変化の匂い」を感じているのではないでしょうか。
そして、さらにもう一つの古典落語の名作、『火焔太鼓』も示唆的であります。