集団快楽中毒に陥る現代人
人間の身体と心は、狩猟採集社会の環境に適用するように設計されているが、現代の都市化、情報過多、テクノロジー依存の環境は、その前提を大きく突き崩している。
便利さを追求し過ぎた結果、身体を動かす機会は減り、食物や情報の過剰摂取が制御不能なレベルにまで高まり、結果として人びとは不安感や焦燥感から逃れられなくなっている。進化に有利だったベターを求める本能は、現代では過剰競争や満たされない欲望として裏目に出てしまっているのである。
残念なことに、人間が作り出した便利なものの使い方は、遺伝子に刻み込まれてはいない。そのため、現代人は集団快楽中毒に陥るか、あるいはその使い方を誤って、かえって自分たちの首を絞めてしまっているのである。
人類の滅亡を防ぐために必要なこと
本書の優れた点は、著者がこうした人びとの不幸を招いているテクノロジーや文明そのものを否定するのではなく、遺伝子が前提とする環境と現代社会との間に生じた齟齬を自覚し、それをどう調整していくかを課題としているところにある。
著者はその解決の方向として、身体性の回復、地域社会の再構築、欲望のコントロールを挙げた上で、人類の滅亡を防ぎ、未来を希望あるものにするための二つの方法を提示している。
一つは自然回帰である。理想的には1万年前の生活に戻ることだが、現実的にそこまでは難しいとしても、自然が人間のさまざまな営みを許容できるところまで開発を抑える、あるいは自然に負荷をかけない形に戻すことが重要だという。
もう一つは、テクノロジーの活用である。我々人間は、並外れた知性と創造力によって、より快楽が得られるもの、より便利なものを作り出してきた。
著者は、テクノロジーをもっとうまく使いながら、「弥生格差革命」以前の人間が持っていた、安心して暮らせるコミュニティや誰もがゼロベースからスタートできる環境という二つの「幸せ」のエッセンスを再現できないかを構想している。
テクノロジー活用の極論は、コンピュータと人間との融合である。例えば、脳の機能を補助するような記憶装置や外部のコンピュータやデータベースと脳を直接つなぐような装置を埋め込むことである。
この融合がさらに進むと、脳にコンピュータを入れるのではなく、コンピュータの中に意識を移す「マインドアップロード」につながる。もしこれができるなら、映画『マトリックス』の世界のように、人間の精神は肉体から離れ不死化することになる。
著者は、これらの融合技術はいずれ実現するだろうと考えている。生命の起源はRNAの配列、つまりデジタル情報であり、人間の最終形として再びデジタル化するということである。