幸せとは、死からの距離が保てている状態だという(写真:Personal Belongings/shutterstock)

 幸せって何だろう。自分は今、幸せなのか。誰しもが生きている限り、一度は自分にそう問いかけるだろう。

「ヒトに限らず生き物全てにとっての幸せとは、『死からの距離が保てている状態』だ」と語るのは、小林武彦氏(東京大学定量生命科学研究所教授)だ。なぜ「幸せ」をそのように定義するのか、テクノロジーはヒトを幸せにするのか、私たちが不幸を感じてしまう原因はどこにあるのか──。『なぜヒトだけが幸せになれないのか』(講談社)を上梓した小林氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

──本書では、生き物にとっての「幸せ」を「死からの距離が保てている状態」と定義しています。

小林武彦氏(以下、小林):これまで私は『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』(いずれも講談社)という2冊の本を上梓してきました。

 前者は、「死」という行為が進化においていかに重要だったか、死の意味を生物的に考察するものでした。そして後者では、「死」に至る前の「老化」について論じました。「死」も「老化」も生の終着点に近い要素です。

 生きていなければ、老いることも死ぬこともできません。つまり「生きている」こと自体が非常に重要な現象です。けれども、生きていることに生物学的な意義があるのかと問われたとき、それに明確な回答を返すことができる人は多くはないでしょう。

 それでもヒトは常に思考する生き物で、生きていることに太古から意味を見出そうとしてきました。そうして編み出したのが「幸せ」という魔法の言葉です。生きていることの目的が「幸せ」であることに他ならないと、ヒトは思うようになりました。

 けれども、ヒトにとっての「幸せ」は極めて多義的であり、多様な意味を内包しています。私は生物学者として、すべての生物に共通する「幸せ」、すなわち生きるための動機の根源とは何かを模索したいと考えました。

 そうして思いついたのが「死からの距離が保たれている状態」です。これこそ、ヒトとその他すべての生物に共通する「最大公約数的な幸せ」の定義であると私は考えています。

──多くの日本人を含め、現代の先進国に暮らす人々は、おおむね死からある程度距離を保てている状態にあると思います。にもかかわらず、私たちは「足りない」と感じ、より豊かさを求めてしまう傾向があります。

小林:私はそれを、書籍の中で「ベター志向」と呼んでいます。

 ベター志向は、豊かさゆえに生じるものではなく、ヒトのみが有する性質です。他の生物は、よりよい状態を追い求めることはあまりしません。自然と調和し現状維持でいいのです。

 けれどもヒトは、現状に満足することなく、必ず次の「もっと良いもの」を探し求め、常により優れたものを創り出そう、獲得しようと努めます。この性質が人類の発展を支えてきたのも事実です。

 ですが、幸せが「死からの距離が保てている状態」だとすれば、同時に「死」という存在がなければ幸せを実感できないとも言えるでしょう。したがって、「ベター志向」によって「死」から十分遠ざかり、それを意識することが少なくなった状態においては、かえって幸せを感じにくくなっているのではないかと思います。

──書籍で、ヒトは「他者と自身を比べるのが得意な性質」であると述べています。その性質によって、現代ではかえって幸せを感じにくくなるともありました。