AIは死との距離を近づけるか?

──書籍では、AIをはじめとするテクノロジーが、果たしてヒトの幸せに貢献するのかという点にも踏み込んでいます。

小林: この10年ほどの間に、ヒトはAIという、自らの能力を超えた「異質な存在」を創り出しました。AIとどのように向き合い、共存していくのか。これは、人類にとって非常に大きな課題です。

 ヒトは「構造や中身が分からないもの」に対して強い不安を抱く生き物です。まさに今、AIはそのような「よく分からない存在」になりつつあります。しかも、現在のAIはまだ「おもちゃの段階」にあるとはいえ、その進化のスピードは人間とは比べものになりません。AIには寿命がなく、「死」という限界が存在しないからです。

 当然、AIはヒトを超える存在となり、ヒトに対して「支配的な立場」に立つ可能性も出てきます。そして、もしその状態が人間にとって「幸せ」であるのならば、まだ救いはあります。そうではなくなる場合もありえます。私たちは「ヒトにとっての幸せとは何か」という根本的な問いに立ち返る必要があるでしょう。

 私が「幸せ」とは「死からの距離が保てている状態」と定義した背景には、こうした危機感があります。テクノロジーの進歩にただ流されているだけで、果たして幸せになれるのか、今一度考えていただきたいと考えています。

──テクノロジーがヒトと「死からの距離」を近付けてしまう可能性があるということでしょうか。

小林:それもテクノロジーの1つの恐ろしさです。書籍では、ダイナマイトを例に挙げて説明しました。

 ノーベルがダイナマイトを発明した目的は、資源の採掘や土木工事でした。しかし、結果的にダイナマイトは戦争で殺戮兵器として用いられるようになりました。

 ヒトには「もっと良いもの」を探し求める性質があるという話をしました。新しく手にした道具や技術を本来の目的とは違うことに用いようとするのも、その創意工夫の本能に従った行為と捉えられます。だからこそ、道具や技術には、便利さと危険さが常に背中合わせに存在している。

 特に、昨今のテクノロジーは、恐ろしいまでの強大な破壊力を持ちます。人類全体の運命を左右しかねないテクノロジーも、すでに存在しています。もし、ある大国が戦争を始めれば、それは戦争当事国にとどまらず、人類全体を巻き込む危険性すら有しているのです。

 もう1つ、私が危惧していることは、AIが人間から「考える機会」を奪う可能性があるという点です。AIに依存し「AIの言うとおりにすればうまくいく」と信じ切ってしまえば、ヒトの生き抜こうとする本能や判断力が徐々に衰えてしまうかもしれません。「死からの距離」が縮まるのです。

 また、AIはヒトから「創意工夫する楽しさ」を奪うのではないかとも考えられています。AIが登場したばかりの頃「AIにとって代わられる職業」が話題になりました。これは、全くもってナンセンスな話です。「これをAIに任せてしまおう」と決めてしまうこと自体が、既にAIというテクノロジーの使い方を誤っているのではないかと私は思うのです。

 たとえ、AIが高い能力を持っていたとしても、人間がやりたいこと、人間だからこそ担うべき役割まで手放してしまって良いとは限りません。創意工夫すること、それによって何かを築いていくこと、そして誰かの役に立つこと。それこそが、人間が生きる上での喜びであり、幸せの感覚を育む源泉なのだと思います。