2019年10月14日、川崎市山王町にて(撮影・提供:台風19号多摩川水害を考える川崎の会)*写真は一部加工しています
目次

「皆、ドラマのように怒っていました」と台風19号多摩川水害川崎訴訟の原告団長、川崎晶子さんは、当時を思い出してそう語った。2019年当時、その怒りの矛先は、上丸子小学校で説明会を行なっていた川崎市だ。

 同年10月12〜13日の台風19号で、市が管理する排水樋管(以下、樋管)の樋門(以下、ゲート)を閉めず、川から泥流が逆流して被害を悪化させたと人々は気づくこととなった。

「水が引いた後も、住宅街の路上には、泥の山が何日も残されていました」と語るのは、長谷川淳さんだ。「我が家は浸水を免れましたが、家のすぐ前まで浸水し、居ても立っても居られなくなって、被災証明書を100枚ぐらいプリントアウトして、『大丈夫ですか』と地域を回った」(長谷川さん)。それが、きっかけで、裁判の支援も続けている。

2019年の多摩川水害は人災か

 泥の水害を起こした樋管は、本来、町に降った雨が堤防に遮られて川に排水できずに起きる「内水氾濫」を防ぐために設けられている。他方、川の水位が町の地盤より高くなると、ゲートを閉めて、町への逆流を防ぐことができる構造だ。

 水害は、ゲートを閉めなかった川崎市による人災だとして、5つの樋管の周辺地域67人らが原告となり、2億7000万円の損賠賠償請求訴訟を提訴した。4年前だ。結審を前に、2025年10月10日に川崎市自治会館で、「ふさわしい判決を」と声をあげるフォーラムが開かれた。

川崎晶子原告団長(左)と西村隆弁護団長(「台風19号多摩川水害6周年フォーラム」で2025年10月10日に筆者撮影)

住民運動によって造られた山王樋管、「水害は起きない」はずが

 水害を振り返り、提訴に至った経緯を、川崎さんはフォーラムで次のように話した。

「3人息子の一番下が当時、小学校6年生。山王樋管は、1960年代に住民が運動して市に造ってもらったもの。息子は学校の自由研究でその話をまとめる中で、『水害は起きません』と結論を出したばかりでした。母親として『これはどうしたことか!』と、できることを考えた」という。

 同じ被災者として、被災した家々を1軒1軒歩いて、川崎市に対応を求める署名を集めた。「被災者は『ありがとうね!』と神様が来たみたいに迎えてくれたのに、署名を受け取った川崎市は塩対応。全市で自然発生的に、水害の会が立ち上がりました」と川崎さん。

 西村隆弁護団長は「市が開く説明会にも参加したが、明らかにゲート操作のミスで被害が起きたにもかかわらず、市はそれを認めようとしない。集団訴訟となった」と語った。

 樋管のゲートが開きっぱなしで水害が起きたのは、5つの樋管周辺(山王、宮内、諏訪、二子、宇奈根)だ。

出典:川崎市 *右が東京湾、左が上流 (https://www.city.kawasaki.jp/800/cmsfiles/contents/0000154/154722/0925.pdf

 川崎さんが語った山王樋管はその1つ。川崎さん宅でも、夫が書斎として使っていた地下1階が窓を突き破って完全に水没。1階の床上も泥だらけになった。「川から溢れてくるのかと思ったら、マンホールからだった」と、後日、現場で驚きを語っていた。