
長崎県と佐世保市が共同で進めようとしている「石木ダム」建設計画について、筆者は2023年に「当初の目的を失ったダム」と書いたが(【川から考える日本】予定されていた工業団地はハウステンボスに、目的失ったダム計画が消えない謎)、問題はさらに悪化している。
2024年8月、長崎県は、10回目の公共事業再評価で、石木ダム事業を継続するとの判断を行ったからだ。総事業費は着工時(1973年)の2.6倍で420億円、工期延長は24年も遅れて2032年になる。
この間、国レベルでは社会資本(以後、インフラ)の維持管理に傾注すべく法改正が行われてきた。しかし、地方の現場レベルではいまだに半世紀前の公共事業は連綿と続く。その分、既存のインフラの維持管理には予算が集中投下されない。1月28日に埼玉県八潮市で起きたような下水道破損は、全国どこでも起こり得る状態なのだ。
形骸化した「再評価」
国のインフラを巡る法改正と予算配分のミスマッチは、なぜ解消されないのか。石木ダムを例に考えてみよう。長崎県が、石木ダムの継続を決定するにあたっては、治水事業のみを検証し、利水については佐世保市に継続の意思を確認しただけだ。
一方、その佐世保市が「佐世保市上下水道事業経営検討委員会」(以後、検討委)を開いて、再評価を始めたのは県の再評価の5カ月後の2025年1月。検討委が「事業継続が妥当」と答申したのは2月22日。
この検討の順序について、市水道局の担当者は、「県は治水のためのダムを作るので、その費用対効果などを評価する。県の評価がOKにならないと、事業費も工期も固まらない。佐世保市の検討委はいわば付属機関なので、順番としては県が決めた後になる」という考えだ。また、検討委が「利水事業は必要がない」と意見した場合は、「納得を得られるように説明する」だけと述べた。
つまり、市は結論を決めた上で検討委を開き、長崎県はその前に結論を出した。公共事業の妥当性を評価・再評価する制度が始まって、およそ四半世紀が経つが、完全に形骸化している。