死からの距離を広げるための「夢」の効用

 ここで著者が強調するのが、夢の効用である。人類は、太古の昔から好奇心をかき立てる大きな夢を抱き続けることによって、「死」からの距離感を広げてきた。

 その一つが、「宇宙を解明したい」というものである。イーロン・マスクなど火星への移住を目指す人びとは、将来の核戦争や環境汚染、隕石の衝突などに備えるといった理由を挙げるが、本音ベースで彼らをかき立てているのは、冒険心と好奇心である。

 二つ目は、「賢くなりたい」である。現代はテクノロジーの進歩が早過ぎて、それをコントロールする人間の能力が追いついていない。そのため、コンピュータと脳を直接つなぐことで人間の能力を高めるという研究もなされている。さらに、脳自体には手を加えずに、汎用AI(人工知能)に人間を超える能力を発揮させようという動きも急である。

 三つ目は、「不老不死」である。これは直接的に死からの距離を広げる方法である。もちろん、生物学的な不死はまだ実現できていないが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いた臓器再生や老化細胞を除去する薬の開発といった、老化を抑制・逆転する技術は急速に進歩している。

 こうした夢は、それらの開発に直接関わる者だけでなく、多くの人びとの夢と重なるものであり、我々すべてをワクワクさせてくれる。「宇宙に果てがあるのなら、その向こうに死後の世界もあるに違いない」といった空想にふけることもできるからである。

 加えて、こうした大きな夢や目標があれば、自分自身が直面する「死」の恐怖が多少なりとも和らぐし、「死」からの心理的距離感を広げる効果もある。このように、夢というのは「幸せ」を増大させる効果を持っているのである。

 ここまで分かっていながら、それではなぜ現代人は「幸せ」を感じられなくなっているのだろうか。現代において、少なくとも日本のような先進国では、死はとても遠い存在のように思われる。

現代まで続く「弥生格差革命」

 著者はその理由を、「遺伝子と環境のミスマッチ」に求める。NHKのドキュメンタリー番組『欲望の資本主義』シリーズの冒頭で、「やめられない、止まらない、欲望が欲望を生む世界。わたしたちはいつからこんな社会を生きているんだろう」というナレーションが入るが、これに対する答えは、現代まで続く「弥生格差革命」にあるというのである。

 著者が着目するのは、狩猟採集社会と農耕社会の違いである。移動性と再分配によって成り立っていた狩猟採集社会に比べ、定住と収穫を伴う農耕社会は、格差の固定と孤立を生み出しやすい。そして、現代の都市における孤独や地域社会における人間関係の希薄化も、こうした人類史的な転換の帰結だというのである。